1995年2月、私はパリで24才の誕生日を迎えた。 フランス語にはなかなか馴染めず、生来の内向的な性格もムクムクと頭をもたげてきて私は 次第に人と会うのが億劫になり始めた。 友達と連れ立って、…続きを読む
親愛なる先生(アルベルト・ポンセ編その3)
ポンセ先生はエコール・ノルマル音楽院で5年生と6年生(最上級生)のクラスを受け持たれて いたが、私は5年生のクラスに入れていただくことになった。すべて福田進一先生のおかげで ある。 ところが初めて学校に行っ…続きを読む
親愛なる先生(アルベルト・ポンセ編その2)
数週間にわたるモルジーヌでの講習会を終えた私は、福田先生、竹内君、村治さんと一緒に (行きがけにも経由した)パリの街に戻った。あちこち観光した後、我々は福田先生のパリ留学 時代の恩師が学長を務める名門音楽学…続きを読む
親愛なる先生(いきなり脱線編)
ごめんなさい。 わたしがフランスで師事していたアルベルト・ポンセ先生の思い出について連載している 途中なのだが、ここでどうしても整理しておきたいことがある。 二十年来の友人であるギタリスト、鈴木大介君と共演…続きを読む
親愛なる先生(アルベルト・ポンセ編その1)
思い出話をするほどのトシでもないとは思っているが、1年間のフランス留学を終え日本に帰国 してから既に20年の年月がたってしまった。 フランス語による会話が苦手だった私にとって、一…続きを読む
小澤敏也さん(その4)
その後、短い期間のあいだに幸運にも何回かのステージを共にさせて頂く事ができた。 福岡市「ニューコンボ」でのピカイア・パンデイロ・スペシャル・ライヴへのゲスト出演、 2012年四月東京下北沢のライヴハウス「4…続きを読む
小澤敏也さん(その3)
佐野音楽鑑賞会主催の「木下尊惇ラテン音楽コンサート~しあわせの架け橋」は素晴らしい コンサートになった。 初日の演奏を終え、会場近くの中華料理屋さんで打ち上がっている時、木下氏がおもむろに 切…続きを読む
小澤敏也さん(その2)
ピカイア・パンデイロ・スペシャルのライヴを初めて体験してから何週間後のことだったろう。 自宅の電話で木下氏と話し終えた私は、受話器をおいたあと思わずガッツポーズをとっていた。 なんと栃木県佐野市でラテンアメ…続きを読む
小澤敏也さん(その1)
去る11月18日22時11分、日本を代表するパンデイロ奏者でありラテンパーカッション 奏者である小澤敏也さんが膵臓がんのためお亡くなりになった。ご病気で演奏活動を休止されて いる事はうかがっていたが、がんの…続きを読む
格闘技とわたし
わたしはどちらかというと臆病な人間である。 二つ上の兄がいるが、子供の時分よく喧嘩をした。 しかし弟というものは体格的な面もさることながら、精神的な面もあって絶対に兄には勝てない ものである。負けて泣くこと…続きを読む