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小澤敏也さん(その3)

 
佐野音楽鑑賞会主催の「木下尊惇ラテン音楽コンサート~しあわせの架け橋」は素晴らしい
コンサートになった。
 
初日の演奏を終え、会場近くの中華料理屋さんで打ち上がっている時、木下氏がおもむろに
切り出した。「このメンバーで是非ふくしまに行きたいです。」
日本に未曾有の被害を及ぼした2011年三月の“東日本大震災”からまだ2ヶ月しか経って
いなかったが、五月のその時点で木下氏やピカイア・パンデイロ・スペシャルのメンバー達は
「自分たちにいったい何が出来るだろう?」という考えの下、既に行動を起こしていた。
木下氏が言うには、日本最大のフォルクローレの祭典“コスキン・エン・ハポン”が毎年福島県
川俣町で開催されており、そのフェスティバルにこの素晴らしいメンバーで出演したい、
ということだった。メンバーの中にはその時期都合がつかない方もおられ、結局参加メンバーは
木下尊惇、菱本幸二、上松美香、渡辺隆雄、小澤敏也、山田やーそ裕に決まった。
もっとも私はたとえ福島でなくとも、このメンバー達とご一緒出来るならば、何処へでも
飛んでゆくつもりであった。以上全7名。
 
 
そして2011年十月、我々七名は福島県川俣町“コスキン・エン・ハポン”のステージにいた。
日本最大のフォルクローレ・フェスティバルにゲスト出演した我々のステージ、木下氏の
発案により、何としょっぱなは小澤さんの“ビリンバウ・ソロ”から始まったのだ。ビリンバウは
小澤さんの得意とするブラジルの民族楽器である。あれはフォルクローレの祭典において強烈な
インパクトを与えた。その後フォルクローレのナンバーをいくつかやり、最後は小澤さんの
熱唱する、あの「レヴォルタ・オロドゥム」だ。
我々のステージは熱烈に歓迎された。
 
 
最終日の朝、JR福島駅の真向かいにあるホテルのフロントで、他のメンバーのチェック・
アウトを待っている時間、横に座っていた小澤さんが私に向かって唐突に語り始めた。
 
「オレって小さい頃、内気というか非常に引っ込み思案な子供だったの。“人前に出て何かやる
なんてとんでもない”と思ってたんだけど、ある日学校の集会の時、みんなの前でしゃべらされ
ちゃってさあ、、、。そんでしゃべり始めたはいいけどいきなりドモッちゃってさあ、皆
ゲラゲラ笑うわけ、、、。そんで助けを求めようと先生のほう見たら先生も笑ってるわけよ。
それ見て
“ガ~ン!”
てなったんだけど、なったと同時に
“もしかしたらコレっていいかも、、、”
って思っちゃったんだよね、そんとき。」
 
飾り気のないその語り口は、小澤さんの唄、演奏そのままであった。
 
「おれギタリストに憧れててさあ、友達が仲間内でバンド組み始めた時“オレもやりたい”
って言ったらさあ、誰も相手にしてくんなかったの。“おまえみたいなダサい奴入れるわけには
いかないよ”ってな感じでさあ、、、。そんで結局サッカーのほうに行ったんだけど、オレ
今でもギタリストに憧れててさあ、ステージでパンデイロ持ってるけどギタリストの気分で
やってんだよね。」
 
(つづく)
 
木下尊惇ユニット2

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