唐人町ギター教室では、楽譜が読めない初心者の方からプロを目指している上級者まで、現役プロミュージシャンが丁寧に指導致します

Blog

小澤敏也さん(その4)

 
その後、短い期間のあいだに幸運にも何回かのステージを共にさせて頂く事ができた。
福岡市「ニューコンボ」でのピカイア・パンデイロ・スペシャル・ライヴへのゲスト出演、
2012年四月東京下北沢のライヴハウス「440」での“第10回ピカイア祭”、そして我が
唐人町ギター教室主催イヴェント2012年十一月“ピカイア・パンデイロ・スペシャル・コン
サート”特に最後のものは、ほとんどの曲で共演させて頂き、忘れられないものとなった。
なかでも「Ponta de areia」での繊細かつダイナミックなビリンバウ・ソロ、カエターノ・
ヴェローゾの「Doideca」での壮絶なパーカッションは今でも私の胸に強烈に焼き付いている。
お客さんもピカイア初体験の方、ご年配の方が多かったにもかかわらず、「ホントに楽し
かった。」「また是非やって欲しい。」「あんな男くさい人達久しぶりに見た。」「次回は
知り合いたくさん連れて来ます!」などなど大変な“ウケ方”だった。
そうだよな、今回は小澤さんの歌が無かったのが残念だったな、、、まあいいや、コレが最後に
なる訳でなし、来年はあの「レヴォルタ・オロドゥム」を是非プログラムに入れてもらうよう
お願いしてみるか、あれはお客様に必ず喜ばれるに違いない、、、。
 
 
その約2週間後、私は東京で行なわれた木下尊惇氏のニュー・アルバムのレコーディングに
参加させて頂いた。チリのシンガー・ソングライター、ヴィクトール・ハラの「平和に生きる
権利」のレコーディングだったが、尊惇氏のご提案でわたしはエレクトリック・ギターを
弾いた、というか弾きまくった。ヴィクトールのオリジナルが割とロック・テイストのもの
であったし、曲そのものもいろんなスタイルを受け入れるだけのキャパシティをもった曲
であったからだ。その曲は別の日にやーその7弦ギターと小澤さんのパーカッション、上松さん
のアルパを別録りすることになっていた。
しかし結果としてそのレコーディングが私と小澤さんの“最後の共演”となってしまった。
そのレコーディングから半年のちに「ご病気の為、小澤さんが活動を休止した。」と連絡
が入ったのだ。
 
 
十一月十八日の夜だった。
私は仕事を終え、夜中なぜかYou Tubeでマイルス・デイヴィス最晩年のライヴ映像をとりつか
れたように夢中で観ていた。
夜中の一時ごろ見終わって、ふとメールをチェックするとトランペットの渡辺さんから連絡が
入っている。メールのタイトルが「小澤さん」となっている。嫌な予感が身体を駆け抜けた。
開いてみるとそれは小澤さんの訃報だった。すい臓がん、享年52歳。
全身から一気に力が抜けていくのを感じた、、、。
 
 
 
わずか3年のあいだであったが小澤敏也さんは強烈な印象を残しつつ、私の目の前を全速力で
駆け抜けてゆかれた。日本の音楽界の中で私などよりはるかに小澤さんと“濃く、親しく、
長く”お付き合いをされた方々は、たくさんいらっしゃるし、そういった方々はおそらく
思い出と悲しみが深すぎて、今は何もコメントする気にもなれないに違いない。
でもいずれの日かそういった方々にお会いしてお話、もしくは演奏を聞かせていただくことに
よって、その人達それぞれの中にある“小澤敏也の魂”に触れたいと心から願っている。
 
 
渡辺亮さん、中西文彦さん、臼井康浩さん(わたしファンです)、ジングルジムの皆さん、
坂本真理さん、CHOVE   CHUVAの米澤さん、お会いした事のない皆さん、木下尊惇さん、
そしてやーそ、ナベさん、いつの日か皆さんの中にある“小澤敏也の魂”に触れさせてもらえない
でしょうか。
 
(おわり)
 
 
 
 

カテゴリー:

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です