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緊張の正体(その3)

 

《没頭してゆく》

うん、最近特に好きな言葉だ。ひょっとすると それは人間が一番幸せな時間ではなかろうか。

緊張しているときは、音楽に、そして演奏に没頭できていない。ちなみに没頭は”集中”とは違う。集中の時間は、ある箇所にフォーカスするため、それ以外のことが見えなくなる危険性がある。道を歩いていて自分がこれから踏むであろう一歩先をじっと見るかのようだ。そこにフォーカスがいくと、50m先から車がこちらに向かってくることにも気付けない。

演奏に例えるなら、一拍先を集中して見過ぎると、一小節先すら感じることができなくなってしまう。時折「演奏に集中せよ」とアドヴァイスをおくる人があるが、私はむしろ「あぶないから集中するな」と言いたい。ある程度ぼんやりとした状態で演奏できるところまで、自分に必要な準備をしておくことは大事であるが、 ”集中” よりは ”没頭” した状態に入ることをお勧めする。

 

ちなみに今回のソロ準備にあたって、自分が最もたすけられた言葉をお伝えしたい。この言葉を想ったり口にするだけで、その都度 緊張が身体からすっと解けて流れていった。

「足るを知る」

そう、老子である。

あと初期仏教のとらえかたのひとつに、「得ようとする」より「捨てること」が大切だというものがある。

「うまく弾きたい」「お客さんに喜んでほしい」などと願うのは《得ようとするプログラム》であり、そう願うこと これ即ち 今の自分がその状態にないことを宣言してるようなものであり 宇宙の法則的には【その現状】を肯定、実現するために万物が動き出す。それでは困るので《捨てるプログラム》へと移行するのだが その時「足るを知る」という言葉があると とても自然に今を受け入れることができる。

こう書いているからといって、私はいずれかの宗教に入信したわけではない。ただ釈迦の捉え方は、私から見れば宗教というよりは哲学であり、のちの世のキンキラキン仏教とはまるで別物のように思える。すべての宗教から余計な装飾をすべて剥ぎとって、その根っこにある哲学的な要素から再スタートしたら一体どんな感じなのか多少の興味はあるのだが。

《哲学》が宗教から独立し得る存在であると同様に《祈り》もまたそういうものではなかろうか。祈っている時に【祈っている自分】を客観視することはおそらく無い。

だから『祈っているかのように弾こう』。これも今回の想いのひとつだった。

 

(おわり)

 

2025.9.9.

 

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