昨日のコンサートが終わってから書こうと思っていた。
そしてある程度 立証出来たと思うから今ここに書く。
それは6月のある日、楽器店でレッスンの合間だった。
休憩がてらミスドでカフェオレを注文したあと、椅子に深々と腰かけた私は、「ステージ上でなぜ緊張するのか?」「緊張しないためにどういうメンタルトレーニングをすればよいのか?」という、結論の出ないいつもの問いを、ただいたずらに反芻していた。
本当に過去何十年とこれには悩まされてきた。ステージには出れば出るほど、キャリアを積めば積むほど慣れていくものだろうと若い頃は勝手に期待していたのだが、実際にはどうも逆で、年を経るごとに緊張が増していってる気がする。ジストニア症状の原因としても実はこれが大きいのではないか・・・(坂場氏の見立てもじつはそうらしい)
だがその日はわずかに違った(そのわずかが実は大きかったのだが・・・)。その日に限って私は日頃絶対に立てない問いを立ててみた。これまでは目をそらし続けてきた問いだった。
「自分にとって緊張のプロセスとは?」
あるいは緊張のメカニズムについて掘り下げてみた。もちろん自分にとっての・・・である。
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緊張するすべての人に当てはまる話ではないと思うので、私個人のケースとしてお読みいただきたい。
ステージにいるとき、「自分を客席から見た時どう見えているか」を意識する瞬間がある。即ち自分の視点を客席に移動させることで、今ステージにいる自分を見る。見る自分とみられる自分との間に超高速のループが始まる・・・。つまり結論を言うと、ステージに居るときに自分のことを客観視する瞬間があると、あっという間に緊張地獄へと引きずり込まれる。
”客観視” というワードは「自分をクールに、冷静に保つために必要なものである」と、好意的にとらえられることが世の中多い。だがことステージにおいては別である。 ”俯瞰” も同様によくない。もちろん企画や準備段階などでは、ある程度の客観視、俯瞰は効力を発揮する。だがこれらはステージ上においては、演者のメンタルに多大な害を及ぼすことがある云わばもろ刃の剣でもある。
ではステージ上での演者は、ひたすら主観的であればよいのか?
そうとも思わない。空間というものを《発信する側》《受け取る側》というふうに分けてしまうと、「うまく伝わった」「伝わらなかった」が問題になってくる。つまり成功と失敗ができてくる。それよりも《ある現象がその場に立ち昇っている》その上で「あなたはそう感じたのね」「私はこう感じた」。それでよいではないか。
そのうえで ”あなた” や ”わたし” というものさえも なくなれば さらによいと思っている。
(つづく)
2025.8.11.