近頃はこれらに対し、若干懐疑的である。
若い頃の自分にとっては、それは重要だった気がする。すなわち次のコンサート、次のリサイタルをどういうテーマにするか・・・そしてテーマに基づいたコンセプトによってプログラムをどう決めるか・・・等といったことが。
単に自分を知的に見せたかっただけかもしれない。
演奏する人間にとって、イヴェントにおけるテーマおよびコンセプトとは、お客を呼ぶための仕掛けのひとつにすぎない。したがってそれが有効なのは、演奏が始まる直前までであり、いざ演奏が始まったらそれが演奏家とお客にとって「いい時間」であるかどうか、つまり感覚的な時間としての充実度が最もたいせつになってくる。
ナマの音楽と接する時間に、観念は邪魔でしかない。
お客を集めるための仕掛けとしての【テーマ】【コンセプト】に、演奏する人間が惑わされないようにしたい。演奏家自身がそれらを過大評価し、祭り上げていては、最もたいせつなものを見失うことになる。
「この曲をやることに意味がある」などという考え方にも、主催者や演奏家は特に気をつけたほうがよい。音楽が始まった時点で、それぞれの立場が消えてなくなるのが現在の私の理想である。やはり音楽において一番たいせつに思えるのは、それが「いい時間」であるかどうかだけなのだ。
2025.6.9.