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差別、偏見、ときどき固定観念

 

6月は雨の季節・・・であると同時に、このオフィシャルサイトのサーバーとドメイン年払いの季節でもある。出費が多い季節であるが、昨日払っちゃったもんねー。しかし冷静に考えると、わたしの独り言のためにえらい出費だ・・・

しかし一旦書いたものは、私が年に一度の支払いさえ怠らなければずっと残るので、必要な方には振り返ってお読みいただくことも可能ではある。ネット記事というのは本を出版することに比べれば、はかない世界であると感じるのも事実だが・・・

 

今回のこの書き出しはなんなのかというと、ある方から個人的にメールを頂戴したのである。その方は私が過去にふくしまのフォルクローレのフェスティバルに出演している動画を観てメールくださったのだが、わたしがソロで演奏している C.ファリーニャスの ” Guaracha ” について、なぜ地方(田舎)での演奏でこんな前衛的な選曲をしたのか、まずそのことに衝撃を受けたらしい。だが繰り返し聴くにつれ、曲の魅力とあわせて自分の中にあった差別意識や偏見に徐々に気付いていった旨、メールにしたためられていた。

その偏見の内容に詳しく触れると「誰でもどこかで耳にしたことのあるような <これぞクラシックギター!>みたいな一曲ではないことにびっくり」「近代的なものや前衛的なものは都会のひとの方が通じる」という固定観念的なものがあった、とその方は告白されている。内容として率直にうれしかった。

戴いたメールをきっかけに、私自身あのときの状況をふり返ってみた。演奏に関しては振り返りたくないので(しかもまさか客席で撮ってるとは思ってもなかった・・・苦笑)、私の演奏でなく、わたしの好きな演奏を貼っておく。

 

 

フェスティバルからゲストとして招かれてた木下尊惇氏の共演者としてくっついていった私だが、その年はたしか木下氏から「松下さんのソロを5~10分ほど」と言われた気がする。中南米の作品であること、当時練習していた曲であること、他のジャンルと被らないほどクラシック的作品と感じさせること、時間的に丁度良いこと・・・選曲の理由としては自分にはこれで充分であった。あとは聞くひとをつねに信じている、ということもある。

以前もブログに書いたことがあると思うが、わたしは地方(田舎)の人間であるので、地方の人間のもつ《プライドの高さ》を知っていると同時に、地方特有の被差別意識の過敏さも知っている。

それと同時に都会の人々のもつ鈍感かつ無自覚な差別意識も感じている。YouTubeをやっているMMA格闘家やボクシング世界チャンピオンの発言の中で「東京にいるひとのほうが地方の人よりこころざしが高い」というものが私が目にしただけで過去2件あった。ギタリストの池田氏も過去に東京の当時若手から「どうして東京に出てこないんですか、池田さん。もったいないですよ!」と言われたらしい。まあ、いずれも20~30代男性の発言なので、データとしての精密度および信憑性としてはいささか粗雑であるが(笑)。

ただ都会の人のほうが、いい意味で柔軟性を持っているとも感じる場面が多いのも事実。新しい情報に対してオープンにひらかれている感覚とでも言おうか。つまりわたしという地方のいち人間が感じる<都会と地方のちがい>の最たるものは、そこである。つまり「やわさ」と「かたさ」であり、「音楽的レベル」や「こころざし(ってなんだ?笑)」ではないのである。もちろんかたさとやわさに関しても一長一短。

すごく大雑把にわけるとそういう感じだが、あとはひとによってほんとにさまざま(そもそもわける必要があるのか?)だから、こういうたぐいの話は、着地点としては不毛なことが多いね。

 

2025.6.16. 

 

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