いやーしかし昨日はびっくりした、あのジャーボンテイがドローとは。やはり試合というものはやってみないとわからないもんだ、、、。あ、わけのわからないことばかり口走ってすみません。松下のブログです。
先日の北九州公演でハッとした個人的なこと【その2】です。
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このたびのコンサートでは、当日会場でお手伝いくださったスタッフの方が数名いらしたが、そのなかのおひとりに、主催の池田慎司さんの同級生で、御職業が”画家”という男性がいらっしゃって、控室で紹介された。存在がなんとなく気になりつつも、迫りくる開演時間に向けて、こちらも準備に入ってしまった。
コンサートが終わり、ロビーでお客様に御挨拶し、それからステージにいって譜面台などを片付け、派手なシャツを地味なシャツに着替え、楽屋のゴミを片付け、ギタリスト縦石氏の車で打ち上げ会場(池田氏の教室)に向かった。
そこに彼が居た。乾杯のあと豪華な打ち上げの料理に舌鼓を打ち、ひと通りお腹が満たされ、落ち着くまで充分に待った私は、ようやく “チャーンス!” とばかり、彼に話しかけた。絵を描くことを生業としているひとが、どういう考えのもと日常を送っているのか、いろいろ手を変え品を変え尋ねてみた。
彼は寡黙な方だった。終始おだやかな表情で、私の投げかける質問を受け止めてくれてはいるが、どうやらご自身の中で問いかけたことがないことばかりのようだった。結果から言うと、彼は私の質問にひとつもこたえてくれなかった。だが、彼は一言だけ私にこういった。
「言語化するのがはやいですね」
それは決して皮肉ではなく、彼が心底感心してそう言ってくれてるのが伝わってきた。だが、その一言に私はハッとした。
そういえばそもそもの私は、自分の頭の中を言語化するのに非常に時間がかかる人間だったのだ。そのことに対しコンプレックスを持ち、言語的反射のはやいひとに、長年ある種のあこがれを持っていた。
ただ、しゃべることが遅かったぶん、今よりも昔の方がもっといろいろ ”感じて” いたのかもしれない。そして【言語化がはやいひと=頭の良いひと】というイメージを漠然と持っていたのかもしれない。
でも最近の私は、むやみに言語化がはやいひとよりも、寡黙なひとにあこがれがある。ものごとをすぐに言語化しないで【感じる時間】を大切にできる、、、これってなんて素敵なことだろう。
そういう意味では、彼とのコミュニケーションは時間こそ短かったが、素敵な時間だった。
《素敵=素には敵わない》
2025.3.3.