これは今回のコンサートで気づいたことというよりも、リハーサルと本番を通すことで、常々思っていることを再確認した、、、といったほうがより正確だろう。
演者が演奏によって音楽の感触を届けるには、積極性および自発性が必要である。
なにそれ?って感じ、、、。そんな当たり前のこと今更、、、って思うひと、結構居るんじゃなかろうか。でもこれが自分で出来ていると思えるそこの貴方は、かなりの名手かあるいはかなりの勘違いさんに違いない。
たとえば強弱についての話をしよう。楽譜のある箇所に F(フォルテ)と書いてある。さあどうするか?それを見て「ああ、強くネ」「これでいいんでしょ?」「これでいいんですか?」などと弾いた音は消極的な音であり、物理的な音としては客席に届いても、音楽の感触はそこにはない。
演奏の”正解”を探しているうちは、ダメなのである。仮にそれが間違いでもいい。自発的な音というものは、音楽の感触として届くのである。
P(ピアノ)と書いてあったら、ただ弱く弾くのでなく、それがどういった感触なのかを自分なりに理解しようと努め、それをつかんだら、積極的に弱く弾ける状態まで自分をもっていくことが大切なのである。あるいはモヤモヤと曖昧に弾きたい箇所は、積極的にモヤモヤ弾くことである。
演奏の積極性は、《音楽の感触》をしっかりと聞き手に届ける。
アンサンブルにおいて、この積極性は他のメンバーに伝染するので、積極性および自発性を備えたメンバーが最低ひとりでも居れば、結果としてそのアンサンブルは音楽の感触を届けることが出来る。
リハーサルにおいて最も重要なことは【感触の共有】である。ところが【表現の正解】を探し始めた途端、対等だったはずのメンバーの関係は消え失せ、そこでレッスンが始まることになる。特にクラシックのミュージシャンは、リハーサルとレッスンの境が曖昧になりがちである。
今回池田氏が絡むアンサンブルに関してリハーサルがうまく運んでいたのは、彼自身の積極性と自発性をもって《共有する感触の例》をいくつも示したこと、あとリハーサル中、彼の表情から常に笑顔が絶えなかったことが大きな要因であろう。これがなかなか出来ることではない。横で見ていて心から尊敬した。
2025.3.6.