三十年くらい前から気付いているが、ここ数年は特に強く感じることが多い。
差別する側は 自らが差別的な視点を持っていることに対し鈍感になり
差別される側は 差別されることに対し過剰に敏感になり易い
差別と被差別 権力と非権力 都市と地方 ・・・
そしてそれらの間にある無数の中間値
時代のリーダーを自認する自称知恵者は
自分と感性も生活形態も違うはずの他者を
啓蒙、教育 あるいは疎外しようとしている自分の傲慢さに気づかない
一方で世の中から取り残されつつある者でも
愚痴を言い マナーを守らないくせに権利だけは主張するが
目には見えていない大きなものに自分が保護されている事実を忘れていたりする
その双方が あるいは無数の中間値が
相手のことはわからないまでも せめて相手の視点に1cmでも近く立ってみようと
こころみる気持ちがあるだけで 充分なことなのかもしれない
と、音楽がおしえてくれることがある
音楽とはそのためのエチュードではないか?
2024.09.24.