わたしは別に専門領域を特権化したいわけでもなく、ハッタリをかましたいわけでもないので、「演奏によってスタイルを描き分ける」ということに関して、少しだけ具体的に触れておこうと思う。
たとえばあなたが『カバティーナ』がどんな曲か知ってると仮定したうえで話をすると、ポップスやジャズのミュージシャンなら、あの八分音符のアルペジオをどう弾くか?おそらくコードトーンを散りばめつつ、一定のビートに乗せて演奏するだろうが、ある特定のポイント以外では、リズムを揺らすことなく、ほとんどインテンポで弾き通すはずだ。
これに対し、クラシックあるいはシャンソンのミュージシャンであれば、一小節内でも《言葉で語りかけるかのように伸び縮みする可能性》がある。とくにメロディーがロングトーンを演奏している場面では、その合い間を埋めるアルペジオの音はインテンポか、若干前傾姿勢で音を紡ぐことで、メロディーが次の音につなげるのをわずかに助ける。そのような箇所でアルペジオがインテンポより遅くなってしまった場合は、旋律奏者からA級戦犯扱いを受けても仕方がない世界なのである(ちなみに三拍目を ”しっかりとしたインテンポ” で弾くと、遅れたような【印象を与える】ことが多い)。そしてついでに言っておくと、バスとその他のコードトーンは常に【分離した状態】として感じている。バスの真上には、そこに書かれていなくとも八分休符が存在しており、そこを感じながらアルペジオし続けるのが《クラシックミュージシャンの流儀》なのである。
何度もお断りするが、これは決して「どちらかがすぐれている」という話ではなく、今自分が弾いている曲をどのスタイルで演奏するか、、、をプロだったら選ぶ、という話である。ボサノヴァはボサの流儀、タンゴはタンゴの流儀、フォルクローレはフォルクローレの流儀で演奏する。そしてそれぞれの分野の中でさらに流儀が枝分かれしていたりするのである。クラシックの中でもバロックとロマン派では演奏の流儀が全然違うように。
ホテルのロビーなどでBGMがかかっていたりする。「癒しのバロック」などというタイトルのCDから『パッヘルベルのカノン』が流れていたりする。メロディーはノン・アーティキュレーション、伴奏はすべての音が均等に響き、その空間を彩っているが、音楽として決して語りかけてこない。それでいいのである。BGMという役割なのだから。だが私は個人的にそれを「クラシック」とは呼べない、、、という話である。
(つづく)
2024.06.25.