唐人町ギター教室では、楽譜が読めない初心者の方からプロを目指している上級者まで、現役プロミュージシャンが丁寧に指導致します

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美というものについて(その1)

 
子供の頃から だらだらと練習していたギター
それまでは師に言われるがままの曲を ただひたすら淡々とこなしていた
教本に載っているものは古典ばかり
カルリ、カルカッシ、ソル、アグアド、、、
 
途端にギターに熱中し出したのは18歳の時
ディアンス、クレンジャンス、ブローウェル、ヒナステラ、、、
目の前の世界が一気にひらけた感じがした
 
様々な現代曲を夢中で弾いたが
弾きたい欲求とアグレッシブさばかりが前に出てきて
タッチは荒れ放題だった が 本人は無頓着
むしろ周りのほうがぶつぶつ言いだした
 
ある年の発表会での演奏後 師はため息をついた
「福山君くらい音がキレイなら 言うことないんだがねえ」
現在 熊本在住の先輩ギタリスト 福山仁さんと比較しての感想だった
 
自身のギター史初期を辿ると
7歳から高校生までの古典漬け”だらだら期”
突如ひらけた”現代曲熱中期”
そしてそのあとにつづく”汚い音コンプレックス期”
 
きれいな音ってなんだ?  丸い音のことか?
そもそも ”きれい” と ”美しい”  これっていっしょか?  ちがうものなのか?
試行(思考)錯誤は そのままフランス留学に持ち越された
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そして あれは2004年か05年の頃だったと思う
地元福岡のミュージシャンで 私がもっとも共演歴が長い オカリナ・ケーナ奏者の
和田名保子さんの初アルバム・レコーディングに参加した
そしてそれは たしかCD発売記念コンサートの会場でのできごとだったと思う
その時 同じくバックで参加していたジャズ・ギタリスト緒方裕光さんが 私のリハをステージ
袖でご覧になっていたが 終わるなり私のそばに歩み寄り 屈託のない笑顔でひとこと こう
言われたのだ
「いや~松下君 音がきれいすぎる!」
「あ、ありがとうございます」
「いや~まいったな きれいすぎる」
同じことを二度三度つぶやき 首を振りながら去ってゆく緒方さんの背中を見つめ
ようやく他者から自分の音を”きれい”と言ってもらえたことの喜びを感じていた
 
つまり今振り返るとお恥ずかしい限りだが その時点での私は 緒方さんのその言葉を
”誉め言葉”として そのまま受け取ってしまったのだ
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それから約一年後の2006年
読売交響楽団のフルート奏者 故・齊藤賀雄先生のアンサンブル講座でのこと
三泊四日の講座の最終日 先生は受講生ひとりひとりに 感想やメッセージを毎年くださる
ならわしだったが その年の私に対するメッセージには こう書かれていた
 
「毎年出会う毎の進歩が楽しみ  でも美しさだけを求めていると片手落ち」
 
 
(つづく)
 
2021.5.6.
 

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