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『Capricho Arabe』の周りで(その3)

 
わたしが”アナリーゼ(分析)”と言っても、作曲専門の方々がなさるそれとは全然違ういわゆる
演奏に直結した完全な”松下流”。よって個人的なものであり偏見や出鱈目も多く含まれるもので
あることをはじめにお断りしておく。
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楽譜(出版社)によっては、サブタイトルとして”Serenata”と付けられている。
この一言はわたしにとってひじょーに重要なものだ。
この一言があるだけで曲の情景としては自動的に”夕暮れ時”の時間設定となる。
そしてそれ以上に大切になるのは、”セレナータ(セレナーデ)”そのものの持つキャラクターの
認識だ。
 
 
そもそもセレナータとはなんであろうか?
今どきネットで調べればスイッチひとつで多くの情報が簡単に出てくるから、是非調べてみると
よいが、私の認識をざっくり申し上げると、、、
ヨーロッパの風習のひとつとして、男性が(野外演奏可能な楽器群で構成された)楽師を金で
雇い、夕暮れ時に自分の憧れの女性の家の前で”愛の唄”を演奏させる。部屋の中で聞いていた
女性が歌および演奏に心動かされた場合、その意思表示として窓(もしくはドア)を開ける。
「楽師のみなさん、大儀であった」と、おもむろに物陰から登場した男性は、意中のひとと
コミュニケーションをとる権利をようやく得る、、、、というもの。
 
 
まあ、ヨーロッパに一時期流行した”恋のゲーム”の一種である。
楽団(もしくは歌い手)の演奏が下手であれば、窓は永久に閉ざされたままなのだろうか?
そうなると楽師も必死である。ここで肝心なのは、そっぽを向いている女性を情熱的な音楽の
力でこちらに振り向かせないといけない、、、それがセレナータ音楽の本質なのである。
つまり”リラックス”よりは”情熱のたたみ掛け”が、全体の多くを占めている音楽であり
(”全部”でないところがみそ。やはり押し引きが大事なのね、、、笑)、サティ演奏のような
セレナータは、その性格上あり得ないということ。相手の気持ちをこちら側に引きずり込む為の
音楽だということをわたしは念頭においている。
 
 
冒頭のハーモニクスは夕暮れ時に響きわたる、遠くにある寺院の鐘の響きかなにかだろうか?
このハーモニクスがドミナントであることはのちに意味が出てくる。
3小節目アタマは本来ミではなく、のちに本編で出てくるようにレが置かれるはず。
つまりイントロを使って本編の予告(布石)を行なっているわけだが、そのミを印象付ける
ためにアクセント記号が置かれている。「あとで登場するレと比較してね~」という意味合い
だ。要はそのアクセント”ミ”は異物なのである(つまり緊張の持続を必要とする)。
 
 
9小節目からのカデンツァめいた動きは、合奏版においては文節ごとに各パートに振り分けて
いるため、アンサンブルが難しい。
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こういった長いカデンツァ・フレーズにも区切り目というものはあり、バロックや古典作品の
演奏においてはそこを分割するアーティキュレーションをほどこしたりするのだが、ロマン派
時代に入ると、その文節切れ目をあえてニカワでつなぐような表現方法に変化してゆく。
つまり文節で切ることをせず、ポルタメントなどを駆使して文節を”なめらかにやさしく”
接着するのである。タレガやリョベート、バリオス、セゴビアなどによく見られる運指がそれで
ある。この曲のソロヴァージョン(オリジナルのこと)では、是非そういったことにチャレンジ
して欲しい。ちなみに大阪の岩崎慎一さんあたりがその技術のスペシャリスト。
 
 
4/4に変化してからいわゆる第二のイントロが二小節おこなわれる。
池田慎司氏によるとスペインのお祭りなどではブラスバンド(もしくはセレナータ楽団)に
よって、こういったパソ・ドブレ的なリズムが演奏され、みんなで隊列を組んで市中を練り歩く
らしい。ここで先程申し上げた”セレナータ”のキャラクターを思い起こしていただきたい。
ゆったりくつろいで歩くというよりは、2拍目から3拍目へ、そして4拍目から次の1拍目へと
(テンポが走り過ぎないギリギリの前向きさ加減で)前に進んでほしい。
 
 
思ってたより長くなりそうなので、次回で終わらせよっかな、、、、、ごめん
 
(つづく)
 

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“『Capricho Arabe』の周りで(その3)” への4件のフィードバック

  1. 木下尊惇 より:

    SERENATA…私がボリビアに住んでいた頃、まだ実際に行われていました。ボリビアでは、女性の誕生日を祝うために、その彼女の窓の下で、音楽を奏で歌うというものです。ただ私の場合、当時毎晩演奏していたペーニャ(ライブハウス)で誘われ、終演後のセレナータだったために、ゆうに真夜中を超える時間が多く、ラパスの寒空の下、寝静まった街での音楽は、時に騒音と見なされて、バケツの水が降ってくるという、酷い目に遭遇したこともあります。
    すいません。曲のアナリーゼとは、全然関係がないですね(笑)。

    • ryuji より:

      木下尊惇さま
      大変貴重なコメントいただきありがとうございます!!
      他国由来のものや風習が海を越え現地化してゆくのは、非常に興味深いものがありますね。
      南米原産のトマトなどがイタリア料理に欠かせないものになったり、、、
      日本のような島国はまさにそうですね。仏教美術などはまさに”日本化”の結晶のような気さえしてきます。
      そういえばR.エンシ―ナスが福島に来た時、楽屋で美香ちゃんを口説いていたのを思い出します。
      「今夜ホテルのアナタの部屋の前にセレナーデを演奏しに行くよ」
      「でもせっかく来てくれても私はたぶん疲れて寝てると思う」
      美香ちゃんのかえしにボリビア組が爆笑していたのが今でも忘れられません。
      セレナーデという風習が、南米で今も生きているのを垣間見た貴重な瞬間でした。

  2. 麻尾佳史 より:

    10年近く前になりますけれど、大阪で松下先生のアラビア風奇想曲公開レッスンを聴講したのをよく覚えています。まさに窓の下で歌うセレナータの話、ハーモニクスのドミナントで始まり最後にトニックに帰ってくる話・・。それ以来、いつかアラビア風奇想曲に改めて取り組みもう、と思い続けて幾星霜。この6小節の合奏楽譜を見て、またいろいろなことに気付かされました。また挑戦してみることにします。
    私の師匠が昔「私が若い頃はアラビア風奇想曲が弾ければプロになれた」なんておっしゃられていて、それは自虐混じりの冗談だと思っていたのですけれど、実はそれは昔も今も単なる事実なのかもしれませんね。

    • ryuji より:

      麻尾佳史さま
      コメント頂戴しありがとうございます!
      お元気でギターを弾かれてあることと思います。
      そうですね、この曲に関しましてはわたし10年前からあまり進歩してないですね(笑)
      でもときに自分の見方を疑ってはみることは大切なことです。
      いろんな成立のさせ方が可能ですからね。
      他者(この場合タレガ)の気持ちを慮る、ギターの気持ちを慮る、この時代のスペイン文化を慮る、クラシック音楽文化を慮る、、、、、
      その先に「正解なんてない」「正解なんてたくさんある」がひろがっていればいいな、と思います。
      師匠がそうおっしゃってましたか!
      それはきっと当時の真実だと思います。
      貴重な証言ですね。

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