昨日3月6日の早朝、私は突然の電話で起こされた。
とりあえず服を着て表通りまで出てみたが、その日に限ってタクシーが全然流していない。
いそいで唐人町駅から天神駅まで地下鉄を利用した私は、地上に上がるとすぐにタクシーを
拾った。目の前に停まったのは、日頃は絶対利用を避ける『個人タクシー』だったが、今朝は
そんなこと言っていられない。
「アイランドシティの ”みらい病院” までお願いします。」
《夜明け前》という時間帯と行き先で緊急だと察してくださったのだろうか。運転手さんは
丁寧に、だがスピーディに車を走らせた、、、。
病院に着くまでの約30分の間、運転手さんは行き先の確認以外に関しては一言もしゃべらな
かった。これは「福岡のタクシー」では結構めずらしい。しかもそれは冷たい沈黙ではなく、
心遣いとやさしさに満ちあふれた《あたたかい沈黙》だったのだ。
おかげで私は移動の30分間、わりと穏やかな心持で病院に辿り着く事が出来た。
《いい仕事》をする運転手さん。すてきだな、、、自分も仕事において、こういうふうに周囲を
サポートできる男になりたいな。
「ありがとうございました」
初老の運転手さんにハッキリ感謝の意を伝えてタクシーを降りた私は、父の居る病室に向
かった。
三月六日(月)午前六時三十七分、母と私の見送る中、父は他界した。
でも本当に ”仕事一辺倒だった父” が、仕事をリタイヤした時から生きることへの執着を
徐々に捨ててゆく過程をここ何年のあいだ見てきたので、正直なところ悲しみはなかった。
「人間の《老い》とは、ものごとに対する執着がうすれ、無くなってゆくことである」
ということを父はここ数年、身をもって私に見せてくれたようなものだ。
「もっとギターを上手に弾きたい」と願うご高齢の生徒さんたちのキラキラした目を、父に見て
欲しいものだ、、、と今まで何度も思った。
そこには「あこがれつづける」ことのすばらしさが、必ず感じとられるはずだ。
私の中に一番印象として残っている父の姿は、その頃一緒に過ごしていたということも勿論ある
のだが、30代~50代の頃の姿である。
仕事をバリバリこなしている頃の父は、やはりキラキラしていた。
しかし父の場合、仕事以外になにも執着が無かった為、リタイヤ後、一気に老いていったと
いうことなのだ。
男というのは、”人間関係の中での役割” によって生かされている生きものらしい。
私が如実にそれを感じたのは、ふくしまの仮設住宅にうかがったときだ。
仮設の中で何かイヴェントがあっても、足を運ぶのは女性ばかり、、、。
では男性をひと同士のコミュニケーションの場に引っ張り出すには、、、?
震災で彼らが失った《仕事によって生じる社会的役割や社会的ポジション》を復活させれば
よい。
そのことを理解していたフォルクロリスタ木下夫妻によって、さまざまなイヴェントが企画
され、それはその後、確実に成果を出している。
(つづく)