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仕事する男(その2)

 
どちらが優れているとか、どちらがダメだ、とかいう話では決してないが、男と女というのは
ものの捉え方、考え方、感じ方において、”ベースとしているもの” がちがう気がする。
昔その辺のことを徹底的に調査して書かれた本に『話を聞かない男、地図が読めない女』
(アラン&バーバラ・ピーズ著/主婦の友社)というベストセラーがあったが、個人的には
随分面白かった。
 
 
その本の中で言及されてたかどうかは記憶が定かでないが、男という種族にとって、仕事という
もの(もしくは仕事という ”意識” )は、人生においてかなり大きな部分を占めている。
現代においてはどうだか分からないが、昭和の頃の男性の意識は今より余計にそれが強
かった。ただ誤解して欲しくないのだが、それは女性より男性の方が「責任感が強い」とか
「仕事に対し熱意がある」といったことでは勿論なく、前回書いたように ”男” は《社会的
役割》というものの中で ”生かされている” 部分が大きい種族なのである。
 
 
父は昭和八年鹿児島で生まれ、四人兄妹の長男として育った。
今はどうだか知らないが、かの地は九州各県の中でも突出して ”男尊女卑” の強い土地柄で
ある。兄妹中唯一のおとこということで、それこそ大切に育てられた(学校に通う際、玄関先で
妹達に靴下を履かせていた、というのが松下家に伝わる伝説となっている)。
そんな父が併せて ”仕事一辺倒” である。
母が『ジェンダー研究』『女性解放運動研究』に足を踏み入れるのは当然の結果として受け
入れるが、「あんな亭主になるな」といわんばかり、幼い私に皿洗い等の家事を仕込んだのには
内心閉口した、、、。
 
 
ちなみに私は、二つ上の兄と二人兄弟である。
子供の頃 ”一生分の喧嘩” をすでに終えている(と思いたい)ので、現在離れて暮らしているが
仲は比較的良い。
兄は昔から(私と違って)出来が良く、勉強も、スポーツも、音楽の趣味の幅広さも私より
はるかに上をいっていた。父も自分の仕事の跡継ぎとして、私よりも兄に期待するところが大き
かったが、結局父とは無縁の職業に就き、現在に至っている。
 
 
この兄が単身赴任先の宮崎から通夜に駆けつけたのを幸い、母と私は『遺族代表のあいさつ』を
兄に押し付けた。
今年の四月から移動&昇進が決まっている兄は何のためらいも見せず、粛々とその役割を
つとめた。
「父は幼い頃(戦争で)父親を亡くし、”父親像” というものを持つことなく育ちました」
「したがって私や弟に対し『”父親”としてどう接していいのかわからない』ということを時折
母にこぼしていたそうです」(筆者注:この話は今回初めて聞いた)
「仕事一辺倒の父でしたが、私たち兄弟はしっかりと仕事をする父の背中を見て育ちました」
「そんな父を私たち兄弟は心から尊敬しています」
台本も無しで自然体によどみなく話す兄、、、そこにあるのは(当然のことだが)私の記憶の
中の兄とは、ひと味もふた味も違う ”仕事の出来る男” の姿であった。
 
 
その夜、葬儀場に泊まった我々兄弟は、父の棺の前にある線香の番をしながら、様々な話を
した。
「 ”仕事をやりたがらない部下” ”仕事の要領がわるい部下” を前にした時、どのように
接するのか?」
「 ”やる気” ということに他者が関与出来るのはどこまでか?」
私の疑問に対し、兄は兄なりの経験から話をしてくれた。
話をしながら『自分の能力だけを磨いて、ものごとに対処する』時期は既に過ぎ、人生の次の
年齢段階に我々兄弟が共に踏み込んでいるのを感じた。
 
もし今の私と同じ年頃の父に会えたなら、どういう話を聞けるのだろうか?
 
(つづく)
 
 

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