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仕事する男(その3)

 
このブログのような公の場で、プライベートなことを臆面もなくベラベラ話す私に対し、父は
きっと顔をしかめるに違いない。
パブリックの場では必要以上に ”自分のプライベート” を《落としめる》傾向が、父の場合特に
強かった。
人前で家族のことを自慢したり褒めることなど絶対にしなかったし、それを《みっともない》と
思っていたふしがある。私自身はそこまではないが、それでも父のそういった感覚が全く理解
できないというわけでもない。それは父から受け継いだ感覚のひとつとして、時折私の中で
ひょっこり顔を出すこともある。
 
 
「人間が美しくあるためには抵抗の精神を忘れてはなりません」~灰谷健次郎著『兎の眼』より
 
 
(微力ながら)権威に抵抗する気質も、父から受け継いだもののひとつだ。
これはもちろん体質的、性格的、好き嫌い的なものであって、別に「それが美徳だ」などとは
私は思っていない。
数多く世に残されている「支配者側の資料」ではなく、「被支配者層に伝承されているもの」を
ひとりの郷土史家として手探りで訪ね歩くその姿勢は、まさにフォークローレ精神に根ざして
いた、と今にして思える。
九州地域における『被差別部落史』の研究にも深く足を踏み入れていたが、部落差別をテーマ
にした日本映画『橋のない川』の音楽を通じて、木下尊惇氏の演奏に触れたのはじつは私よりも
父の方が早かったのだ。
 
 
たとえ肉親であっても、魂の抜けた身体というのは、まるで別人のような印象を与える。
どう見てもそこには父は存在しない。
葬儀場の担当者は「この世でお父様をご覧になるのはこれが最後になります。どうぞ触れられ
たり声をかけてあげてください」などとお気を遣ってくれるのだが、どう見ても私の見る限り
そこに父は居ないのである。棺桶という容れ物の中に、もうひとつ空っぽの容れ物があるように
しか私には感じられなかった。
 
 
やはり私にとっての父とは「仕事現役時代の父」だが、それは私自身が「仕事する男」としての
父を見ようとしていた、あるいはその姿を求めていた、ということなのだろうか。
病院に見舞いに行くたび「ありがとう」とねぎらいの言葉をかけてくれる父は、私にとっては
正直べつのひとのような印象であった。
 
 
仕事人でない《ひととしての父》を私はこれまでどのくらい見ようとしてきたのだろう?
だがそう思い返した時、元気な時期の父はわれわれ家族に対して、そういった部分を意識的に
見えないようにしてきたことに今さらながら気が付いた私であった。
 
(おわり)
 
 

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