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「主題、変奏と終曲」雑感

 
ふたつの大戦の狭間を生きたメキシコ近代の作曲家、マヌエル・マリア・ポンセ(1882~1948)は、歌曲「エストレリータ」の生みの親として世に知られる存在である。ピアノ曲を中心とした様々な形態の為の作品を発表したが、クラシックギター界の巨匠、アンドレス・セゴビア(1893~1987)との交流から数多くのギター独奏曲を残し、ギター作品のクオリティの向上に大きく貢献した。
「主題、変奏と終曲」は結婚して間もないポンセが、ポール・デュカ(1865~1935)に学ぶため留学していた先のパリで、1926年セゴビアの為に作曲したギター独奏曲である。ポンセ自身の手からなる主題の後、6つの変奏が展開され、堂々たる終曲により幕を閉じる。
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1990年ごろだったと思う。当時の私はエレクトリックギターによるバンド活動にいそしんで
いたが、クラシックギターの鍛錬はそれまでと変わらず継続していた。その目的としては、
近現代クラシック作品の中に現れる特徴的なハーモニーを、バンドのサウンドに取り込む為で
あった。
二十歳を目前にしたある日、いつものようにギター教室に行くと、師匠である坂本先生が
「こんな曲があるけど、松下君好みじゃないかな」
と言って私の前に広げた譜面がこの曲だった。
そして今振り返るとココが大変重要なポイントなのだが、先生が目の前で弾いてくださったのだ
(全部ではなかったが、、、)。
そして帰りがけに「今の松下君と同じ年頃の録音だよ」と言って、英国のギタリスト、
ジョン・ウィリアムスの”ポンセ、トローバ作品集”のカセットテープを貸してくださった。
その日から私とこの曲との歩みが始まった、、、。
 
 
なんせ弾くのが難しい、、、。
しかし技巧上の難しさよりも、この曲の醸し出すサウンドが私をひたすら練習へと駆り立てた。
そして曲の ”規模としての丁度良さ” もあいまって「コンクールの自由曲」や「公開レッスン
受講曲」に曲が必要なとき、大抵私はこの曲で臨んだ。
 
 
公開、非公開含め、私が過去に ”この曲で” レッスンを受けたギタリストをここに挙げてみる。(以下敬称略)
坂本一比古、ホセ・ルイス・ゴンサレス、福田進一、鎌田慶昭、デヴィッド・ラッセル、藤井敬吾、アルベルト・ポンセ、パブロ・マルケス、レオ・ブローウェル、レイ・ゲーラ、ホアキン・クレルチ、鈴木大介、ラファエラ・スミッツ。
 
 
ちなみに福田氏には四回は受けている(笑)。
そしてこれだけのギタリストから同じ曲でご指導を受けてみて初めて気が付いたことがある。
それはなにか、、、。
「みんな言うことがちが~う!!」
時には『どれがテーマの主旋律か?』に関しても見解が分かれる(うそ~?!)。
そして厄介なことがもうひとつ。それはなんと、、、
「どの意見も筋が通ってる!!」
これにはまいった、、、。
 
 
「テーマの主旋律」に関して意見が分かれるのは、今ならおぼろげに理解できる。
要するにこの曲は『和声進行そのものがテーマ』であって、旋律がテーマというわけではない
のだ、ということ。そういう意味では「フォリアの変奏」と同じと言える。
皆様それぞれに大変有益なアドヴァイスをくださったが、とりわけ私の印象に残っているのは
故ホセ・ルイス・ゴンサレス、福田進一、鎌田慶昭、レオ・ブローウェル、ホアキン・クレ
ルチ、アルベルト・ポンセ各氏のレッスンだった。
だが結果として、皆様から頂いた様々なアドヴァイスの ”いいとこ取り” をして繋ぎ合わせた
「モンタージュのような」私の演奏は、その一貫性の無さから到底聞くに堪えない(というか
全く存在意義の見出せない)ものとなってしまった。
パッと聞いた感じは悪くはないが、とにかくダメなのである。
窮した私はこの曲を弾くことをやめてしまった、、、。
 
 
時間が解決する、ということが実際にあるものだ。
二十年近く寝かせていたこの曲を、ここ数年チラチラと練習しているが、以前のように方向性が
分散しているような感じはしない。
ただこの頃めっきり技術の衰えを感じるので、これ以上悪くなる前に動画に撮ってみた。
言ってみればギタリスト松下隆二の『断末魔動画』のようなもの(苦笑)。

 
今回の演奏で見定めようとしたのは、あの出会いの日から二十五年以上の月日を経て辿り着いた
“現在の私に見えるもの” は何か。
そしてそれらに囲まれた中で、いかに遊べるか。
そして今後の展望として重要なことは「今回の演奏で記録されたものをこれから先、いかに
捨ててゆくか」である。
 
 
これらの曲はこんにちにおいて、近代的遺物の残骸にしかなり得ないものなのか?
そうでないことを願ってはいるが、、、。
 
(おわり)
 
 

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