唐人町ギター教室では、楽譜が読めない初心者の方からプロを目指している上級者まで、現役プロミュージシャンが丁寧に指導致します

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ものの呼び名、および記憶に関して

 
桜の開花するこの季節、皆様お元気でお過ごしでしょうか?
生来寒さに弱い為、二月三月はコンサートもせず引きこもっていましたが、スギ花粉も徐々に
おさまり、少しずつではありますが暖かくなってきている気配、、、。冬眠明けということで
今月からまた少しずつ外での活動を増やしていきたいと思っております。
 
 
前回のブログで『演奏動画』の宣伝をしましたところ、多くの方にご覧いただき有難く思って
おります。最新の動画をきっかけに、以前私が大量にアップした『小品動画』に行きつかれた
方もいらっしゃると思いますが、それに関し(言い訳のような)コメントを少々、、、。
 
 
ここ最近の私が楽しんでやっている試みのひとつとして、「教本や発表会用曲集に含まれている
小品」を公開の場で演奏すること、というのがあります。
生徒さんたちの多くが「教本に入っている曲というのは、自分が上達する為に踏んでいる
”踏み台”にすぎない」と感じているようですが、いえいえ、、、そんなことはない。
弾きようによって大変すてきな楽しい曲だ、ということを何とかお伝えできないか、、、と
いうことで最近コンサートで採りあげたり動画にアップしている次第です。
 
 
「取り組む曲が変わる」=「自分が上達している」
 
という錯覚も世の音楽教室は冗長しておりまして、「自分がいまだ出会っていない素敵な曲」を
求めてゾンビのようにさまよっていらっしゃる方をよく見かけますが、「皆様すでにタカラモノ
を手にされてるのです」ということを私は声を大にして言いたい。
と同時に「素敵な曲と巡り合えないのは、曲のせいではなく皆様が曲に対し楽しく取り組めて
いない為です」ということも声を小にして言いたい。
 
 
というわけで以前小品をたくさん撮ってみたのですが、決して『模範演奏』などではあり
ません。むしろコンクールでこのように弾くと落とされますよ(笑)。
あくまで自分の為に、これらの小品を「作品として」楽しんで弾いてみた次第です。
今回チャンネル登録していただいた方もいらっしゃることだし、今後も楽しんでいろいろあげて
いきますので何卒よろしくお願いします。
 
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今月大阪で共演予定の、尊敬する先輩ギタリスト岩崎慎一さんと先日メールでやりとりしている
際、話がバカボンネタになった。その中で”レレレのおじさん”のモデルになったのがお釈迦様の
弟子”チューラパンタカ”であることを教わった。
ちなみに岩崎氏はスペイン留学時代の同門ギタリスト富川勝智さんから聞いたらしい。
(いやさお富、さすがだなぁ、、、)
 
 
以下、非常にかいつまんだ話だが
 
お釈迦様の弟子のチューラパンタカは自分の名前も覚えられぬほど非常にモノ覚えが悪く、いつもみんなに笑われていた。
ある日お釈迦様が彼に一本のほうきを渡して『ちりを払わん、あかを除かん』と唱え続けさせた。辛抱強くひたすらに唱え続けた結果、彼は悟りを得る事が出来た。
驚く周囲にお釈迦様は言った。『さとりには多くのことを学ばなければいけないという訳ではない。ほんの短い教えの言葉でも、その言葉の本当に意味を理解し、道を求めてゆくならばさとる事が出来る』
 
本当にかいつまんでいる、、、ゴメン!
 
 
クラシック音楽をやっておられる方はご存知の方も多いと思うが、中世ヨーロッパに”吟遊
詩人”と呼ばれる人達がいた。リラやリュートなどの撥弦楽器を弾きながら町から町、村から村
を渡り歩き、騎士道精神に基づいた叙事詩や叙情詩などを唄ったり、遠い国の英雄譚、悲恋
物語、当時の時事ネタを弾き語りで伝えたり、即興で詩をよんだり、、、ということを
生業として暮らしていた人たちである。
ときにある村で吟遊詩人同士がかち合ったりした日には、腕比べの即興合戦なども行われたに
違いない。
彼らの記憶力は現代人に想像もつかないほどずば抜けていたらしいが、一説によると文字を扱う
ようになってから吟遊詩人の記憶力というものは退化したらしい。
 
 
しかし想像するに、彼らの駆使していた記憶力というものは現代のわれわれがイメージするもの
と若干ニュアンスが違うのではなかろうか。
彼らは物語のセリフを一言一句間違えず語ることを目指していたわけではないはずだ。
大まかな本筋は変えず「語るときのリアリティ」のみを大切にしていた話し方だったに違い
ない。したがって細かい言い回しはその都度ちがっていても良かったはずである。
本筋さえあっていれば、、、。
 
 
むかしむかし私が留学から帰ってレッスンをし始めの頃、ある御年輩の男性の生徒さんがいた。
その方は長くギターをやってらっしゃって「わたしもねえ、わかいころはねえ、リバ=ロボスの
チョーロとか弾けよったんですバイ」
レッスン時間中、ことあるごとにその言葉が出てくるので、ある日わたしは勇気を振り絞って
言ってみた。
「あの、、、ヴィラ=ロボスですよね、、、」
その生徒はすぐさまこう返した
「ええ、リバ=ロボス!」
 
 
ひとはものごとを固定化し、所有し易くするため便宜上”名前”というものを付けるのだ。
共通認識さえあれば、呼び名というものはさほど重要ではないのかもしれない。
 
「ドンマイだぜ!レレレのおじさん!」(、、、って、今回の結論それかいっ!)
 
(おわり)
 
 

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“ものの呼び名、および記憶に関して” への2件のフィードバック

  1. S.Hongo より:

    チューラパンタカのように、
    「拍の裏」と唱え続けないと、(悟りは開けない)思った次第であります。

    • ryuji より:

      S.Hongoさま
      そうそう(笑)、ウラのないところにオモテはない、、、。
      くり~ん、くり~ん、、、、。

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