早川義夫のアルバムタイトルに似たような(真逆な?)ものがあったが、とりあえず、それは置いておく。本ブログ記事のタイトルには、もちろん枕詞として ”ぼくにとって” という言葉がくる。
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今朝10時に生徒さんのレッスンをおひとり終え、いつものようにトランプゲームを始めるべくパソコンの前に座った。ゲームをするときは必ず音楽をかける。i tune にシャッフル機能をかけ、自分の好きな音楽がランダムに流れる状態にしておく。
初っ端にかかったのが、デヴィッド・ボウイの「美女と野獣」だった。これはディズニーソングのやつではなく同名異曲、ボウイの名盤『ヒーローズ』の冒頭、第一曲目である。
20代の頃から現在まで数えきれない回数、聴いてきたこの曲。う~ん、きもちわるい。やっぱりボウイは変態だ。一体なんでこんな曲が作れるのだろう、、、?
様々な思いがアタマを通り過ぎてゆく。ゲームをしながら聞いているのだが、もはやゲームのほうがバックグラウンド。脳の中は完全に音楽の方に行っていた。
そもそもこの曲を作って売れると思っていたのか?いや、、、売る気自体なかったのか?ただ本人がやりたいことをやっただけなのか?聴衆を全く念頭に置かずに作ったのか?いや、、、それとも逆に聴衆を信じていたのか?
聴衆がなにを求めているのか?ではなく、自分がやりたいことをやるにあたって、聴衆のことが念頭にないぶんだけ、思い切りのよさが際立つ。その結果かっこいいから、聴衆が ”結果として” ついてゆく、、、。
聴衆を探って、ついていくのではなく、聴衆に探らせ、ついてこさせる、、、。
その自信(迷いのなさ)とエネルギーに満ち溢れているから、かっこいい。
表舞台に立つひとは、それが絶対に必要だ。
私は若い頃から、”ヘンな曲” を堂々と発表できるひとをアーティストとして信頼している。十代から聴き続けているビリー・ジョエルにも一曲 ”ヘンな曲” がある。
なんでこんな曲を作って発表したんだ?初めて聴いた中学生の私は背筋が凍った。
それまで珠玉のバラードからノリのよいロックンロールまで、幅広い極上ポップスを提供してきたビリーが、1982年発表した8枚目のアルバム『ナイロン・カーテン』。それまでにない社会的な内容で物議を醸し、セールス的にあまり伸びなかったアルバムだが、このアルバムを出したひとだからこそ、その後多くのひとから信頼され、”ついてこさせる” アーティストになったのではなかろうか。
松下先生の“かっこいい論”、決めてますねぇ!
私の音楽的価値感は、眠っていた子供が目覚めるように、この二年間でまたもパラダイムシフトしたようです。タケミツの刺激もありましたが、なんといってもギターとの身近なふれあいです。
更に音楽考察に突き進む今、面白くってしかたありません。
村田 陽子さま
「眠っていた子供が目覚めるように、この二年間でまたもパラダイムシフトした」
すごいことですね!
柔軟に前進しつづけるかたは僕にとって人生のお手本です。
”転換具合”について、今度ゆっくりお聞かせいただけると嬉しいです。