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突然ですが、「セゴビア」雑感、、、

 
「クラシックギターの世界」も私が子供の頃と比べると(ここ30年ほどの中で)ずいぶんと
様変わりしてきた。
 
私がギターを始めた1970年代から90年代くらいまではまさに“巨匠の時代”だったと言って
いい。時代が巨匠を必要としていた。海外からギタリストが来日するたび、日本のギター界は
彼らを巨匠として温かく迎えた。心の拠りどころとなる権威を多数の人が求めていたに違い
ない。
 
 
しかし一歩(ギター界の)外に出て、冷静に考えると他楽器の巨匠たとえばカザルス、ロストロ
ポーヴィチ、モイーズ、ホロヴィッツ、ハイフェッツのような巨匠中の巨匠と肩を並べられる
マエストロといえば、ギター界から推薦できるのはアンドレス・セゴヴィアをおいていない。
「大巨匠セゴビアの音楽」はその圧倒的存在感によって有無を言わせない(ある意味理不尽な)
ところがある。
 
 
 
セゴビアの「人間的な魅力」と本来は切り離して語ることはしてはいけないと思うが、かの人の
演奏スタイルについて触れたい。古典を弾こうがバロックを弾こうがロマン派を弾こうが
近代(当時の現代)作品を弾こうが、彼の演奏スタイルは徹頭徹尾“ロマン派スタイル”だった。
 
 
例えて言うなら、そばとパスタはどちらも麺類である。セゴビアはお箸を巧みに使う名手だった
のでパスタもお箸で食べた。パスタは本来フォークを使って味わう文化が積み重ねられてきた
食べ物であるが、そういったことを一切切り捨てても価値が残るほど、かの人の「お箸の
使い方」は絶妙だった。
セゴビアが運指をつけた「ソル20の練習曲」や「バッハのシャコンヌ」はそういったことを
踏まえて取り組むべきだ。すなわち“セゴビア独特のロマン派技術”を学びたいのか、曲を通じて
ソルやバッハと対話したいのか、、、、。
 
 
 
時は移り、ひとびとの価値観も移ろいでゆく。
今は世の中が昔ほど巨匠を求めない時代であり、現代の名手もしくは名教授と呼ばれる人達に
共通しているのは「合理的な演奏法」「若い人達にも親しみやすいフレンドリーさ」である。
権威というものが薄らいでゆく中で(思えば昔は私ごときがセゴビアについてこのように好き
勝手に語るのは決して許される雰囲気ではなかった。そのぐらいセゴビアはアンタッチャブルな
存在だった)前進した部分もあるし逆に失われたものもある。
わたしより二世代上のセゴビアに対する熱狂、一世代上のそれらに対する反発、一世代下の
無関心、、、そういった時の流れと世代ごとのセゴビアとの距離感などを感じつつこれだけは
はっきりと言える。もしセゴビアがいなければ我々ギタリストは現在こんな豊かな世界には
居れないはずだ。
 
 
 
私の世代からの「セゴビアに対する思い」のサンプルのひとつとして、もうすぐ発売される
アルバムがある。
鈴木大介くんによるセゴビア生誕120年を記念した“セゴヴィア・トリビュート・アルバム”
である。
常に意義のある仕事をやり続けている彼ならではの“セゴヴィア礼讃”であるはずだ。
 
今から楽しみである。
 
 
2013.9.18.

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“突然ですが、「セゴビア」雑感、、、” への2件のフィードバック

  1. d より:

    こんばんは。僕はセゴヴィアをほとんど聴いたことがありませんが興味深く読ませていただきました。松下さんのブログをこれからも楽しみにしています。
    10月9日のサイトピアコンサートはぜひ行きたいと思っています(仕事次第ですが)
    キューバの曲を期待しています。お会いできればよいですね。
    ウォーホールのバナナのジャケットのやつ・・・僕も大好きです。うふふ。

    • ryuji より:

      どうもこんばんは。
      アンドレス・セゴヴィアはスペインの巨匠ですが、セゴヴィアより前の時代のギタリストは基本「ギタリストによって作られた曲」しか弾かなかったのです。オーケストラ曲やピアノ曲を作る「一般の作曲家」たちにギター曲を作らせ、世界中で演奏した功績は計り知れないものがあります。そのことによってギター曲のクオリティーが飛躍的に上がったのですから、、、。それは当時有名だった彼にしか成し得ない仕事であり、ありがたいことです。
      「バナナアルバム」のシールは買った当時、途中まではがし、ふともったいない気がして止めました。当時も今も貧乏性は変わりません(笑)。

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