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ふくしま2013

 
10月11日(金)東京の駒沢大駅公園口で木下夫妻と無事落ち合えた私は、木下氏の運転する車で、一路ふくしまへと向かった。今回は氏の愛猫「ガト・フェリサ・ルンルン」も一緒の旅だ。普段はしょうもないことばっかり言いのワタシだが、木下夫妻と御一緒すると、御二人の貴重な言葉をしっかり受け止めようと身が引き締まる為、“寡黙な松下さん”の印象を持たれている。(本当のところを言うと、木下氏のおそるべき記憶力の網にワタシの不用意な言葉や失言が引っかかるのを怖れているだけなのだが、、、。)
宇都宮を過ぎたあたりからカー・ラジオが“ラジオ福島”の電波を拾い始め、我々の知り合いであるアナウンサー石田久子さんの元気な声が聞こえてくる。「ラジオ福島に寄って、放送中の石田さんを外からひやかして行きましょうか。」サプライズの好きな木下夫妻の提案でわれわれは放送局へと向かった。ガラス張りのスタジオから木下さんの抱くフェリサを見つけた“猫好きの石田さん”は大喜び。なんと番組の空き時間を利用して、木下さんとワタシ、そしてフェリサの2人&1猫は急遽ラジオ出演する運びとなってしまった。(普段のようにリラックスして話す木下氏と、キンチョーしてカチカチのフェリサと私の姿を想像して頂きたい)その後はふくしまでのコンサートやイヴェントを企画、主催してくださる菅野御夫妻と合流し、おいしい中華料理をいただいてからホテルにチェックイン。
翌12日は川俣町で行なわれる日本最大のフォルクローレの祭典「コスキン・エン・ハポン」オープニング・パレード参加の為ホテルを早めに出る。川俣南小学校のグラウンドでの開会式の後、南米の民族衣装を身にまとった地元の人達が、踊ったり演奏したりしながら町の中を行進していく。木下氏と私は毎年山木屋小学校の生徒達と共に演奏し踊りながらすすんで行く。車道の両脇には声援を送る地元の人達、、、自宅前に小さな椅子を並べ子供たちの元気な姿を座って見守るお年寄りの姿もチラホラ。このパレードそのものは川俣町の地元にしっかりと根付いた祭りとなっているようで、毎年参加するのが楽しみである。
「コスキン・エン・ハポン」は年一回開催され今年で39回を数える。昭和50年開催当時は13団体だったのが、今では参加160団体を超す3日間かけた大イヴェントへと発展した。木下氏と私はこの日の夜8時過ぎにゲスト出演した。この日特に忘れがたかったのは、我々の出演の少し前に地元のフォルクローレグループ“LA  PAZ”が木下尊惇作曲「足跡に花ひらく~美しきふくしま」を大変素晴らしく演奏したことだった。楽曲というのは多くの人に唄われ、演奏されることで育ってゆくもののようだ。
翌13日はオフ。もっとも木下夫妻には大切な用があった。川俣町東福沢の仮設住宅での生活を余儀なくされている山木屋地区の住民。そこの区長であり自治会長も兼任されている広野さんと木下氏は“ある計画”を進めようとしている。木下氏の住む神奈川県秦野市から稲の収穫後に出た藁や葦をふくしまへと運び、仮設に住む「技術を持ったおじいさん」たちの手で蓑、わらじ、炭俵などの藁細工を作ってもらい、それを他県で販売するというものだ。私は知らなかったのだが藁細工というものは基本、“男の仕事”らしい(「おとうはど~ま~で~わらう~ちし~ご~と」という歌があったな、そういえば、、、)。木下氏は田んぼや畑をご自身でされているので、今回の件“プロジェクト”というよりは、おじいさんたちの持つワザを純粋に学びたいらしい。おじいさんたちの労働意欲につながり、おまけに彼らの収益にもなる、技の継承にもなる、まさに一石三鳥にも四鳥にもなりうるこのアイディアに広野さんもしきりに感心されていた。
その後広野さんに案内され、われわれは二本松市で行なわれている祭り“針道のあばれ山車”を見物する事ができた。巨大な人形を乗せた山車を街中でぐるぐる回したり、ぶつけ合うかなり激しい祭りである。その迫力に息を呑むと同時に、まさに命がけの緊張感の中それに臨む若者たちのピリッとした表情が何とも頼もしい。ここでも技と心意気の継承がしっかりと行なわれている。
広野さんとお別れした我々は、福島駅近くで開催されている“世界の屋台”に足を運ぶ。世界のおいしいビール、ワインそして料理がビックリするほど安い値段で食べられる。今回おいしかったのは地元ふくしまで開発された新メニュー、その名も“阿武隈焼きそば”。ソースは使わず、ゆず、鮭フレーク、そしてイクラを使った海鮮風のさっぱりしたもの。冷めてもうまい、これが。ふくしまへお立ち寄りの際はぜひおススメ!
会場の特設コーナーでは大阪からお越しの“ボブ浅野”さんによる、ボブ・ディラン・ナンバーの弾き語りが披露され、大いに会場を沸かせた。
ふくしまの最終日14日の夜は市内の素敵なバー「マジー・ノアール」でのライヴを予定していた為、午前中は木下氏とリハ。昼は森の中のレストランでパスタを食べ、かねての予定通り、三春町の「デコ屋敷」へと向かった。デコとは人形のことで、三春のデコの特徴は土などを一切使わず、木型の上に和紙を何枚も張り合わせて作るその製法であり、元禄期から三百年間受け継がれてきたそうである。ここでもやはり技の継承がしっかりと行なわれていた。
そして夜、マジー・ノアールでのライヴ。木下氏はオフステージの時となんら変わることなく、みんなをそして私をぐいぐいと引っ張ってゆく。その力強い手に導かれながら、この技と精神を継承しなければ、という思いにいつも駆られるのである。それはきっと氏が(今年亡くなられた)画家であるお父様から受け継いだものであり、十代のころ渡ったボリヴィアで名手エルネスト・カブールから受け継いだものであるのだろう。そしてその他大勢の先人から受け継いだものであるのだろう。そうやって何枚もの和紙を張り合わせた“三春のデコ”のような人間的ぶ厚さが、多くの人を惹きつける氏の魅力なのだろう。
ふくしまの現状は言うまでもなく大変である。汚染の状況改善はめどが立たず、避難生活の心労は甚だしい。東京でオリンピックを開催する事を手放しで喜べるほど無邪気にはなれない。木下氏は言う。「原発を動かしたいと思っている人に、一度でいいからその理由を僕の目の前で理路整然と語ってもらいたいものです。」全く同感である。
今回ふくしまに住む人々のつよさ、たくましさが強烈に印象として残った。これは私にとって三回目の訪問にして初めての感覚だ。今年二本松そして福島駅前で聞いた祭りの太鼓と笛の音は一生忘れる事はないだろう。
 
2013.10.17.

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“ふくしま2013” への2件のフィードバック

  1. ボブ浅野 より:

    ブログに載せていただき恐縮です。
    13日の世界の屋台村では、挨拶くらいしかできず申し訳ありませんでした。
    福島は2回目ですが、本当に楽しい時間を過ごすことができました。
    その場にいた人達、皆様に本当に感謝しております。
    またいつか会える日を楽しみにしています。
    よろしくお願いします。
                             ボブ浅野

    • ryuji より:

      ボブさん、ようこそ~!!!
      ふくしまではステキな唄声ありがとうございました。あの日はボブさんの演奏で客席も大盛り上がりでしたね。あの後福岡に帰ってYouTubeでさらに拝見しました。ご活躍ですね。ちなみにわたしが好きなボブ・ディラン・ナンバーは、「イッツ・オールライト・マ」「我が道を行く」「フォーエヴァー・ヤング」などです。いつの日かまたお会いできる事を願っております。

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