唐人町ギター教室では、楽譜が読めない初心者の方からプロを目指している上級者まで、現役プロミュージシャンが丁寧に指導致します

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音符と音楽

 

クラシックミュージシャンは音符を使って音楽をする。

楽譜というものには何百年前のものから現在のものまで

様々な時代を背景に 異なる生活様式の中で生きてきたひとびとの

その瞬間の心の動きが刻印されている。

 

だがそれはあくまでヨーロッパを中心とした音楽文化であり

人類による音楽文化の歴史を地球規模で見渡してみたとき

それらの音楽のありかたは基礎でもなんでもなく むしろマイノリティであるのだが

その土地土地に根付いて 本来移動させることが不可能な【文化】というものに対し

持ち運び可能な【文明】である 五線譜という媒体を使って

ヨーロッパ人のゆく先々に まさに帝国主義的力でもって

ヨーロッパ音楽文化による侵食をおこなった。

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などと なんとも不用意な書き出しで始めた今日のブログ・・・ちなみにぼくってとっても嘘つきなので、これを読んだ皆さんが「なるほどそうなのか!」などと信用してはいけない。ブログを読んでくださってる皆様にぼくが一番願っているのは、「こいつはこう書いてるけど私はこう思う」というふうにそれぞれがご自分の考えや思いを整理、確認するのに利用していただければなによりうれしい。

そう、ぼくがいっていることは7割がうそ、2割がでたらめ、残りの1割にひょっとしたらなにかあるかもしれない(なにもないかもしれない)

そのくらいの感覚で読んでほしい。

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世の音楽教室というよりは世の親御さんたちの割と多くが「音楽の基礎はクラシックだから」というとんでもない誤解を携えて子供の手を引き引き、音楽教室の門を叩く。

だが私の経験上はっきりという。

音楽でも、クラシック、ポップス、ジャズ、民族音楽、邦楽(日本伝統音楽)これらの基礎とするものはそれぞれ違う。手始めに何から学んだらよいか、はそれぞれ違う。「フォークにしろエレキにしろギターの基礎をやるんだったらまずはとにかくクラシックギターを・・・」という考え方は、多くのクラシックギター教室を助けてきた面もあるし、そこから輩出された勘違いギタリスト人口の多さも鑑みてプラスの面も多かったのだが、そろそろやめにしてもいいのではないか?これは子供に罪はない。100%親のせいである。

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どうも話がそれまくっている・・・。

現代においてはいろんなジャンルがミックスされた作品も多いため、どれかひとつだけのジャンルの勉強や練習では現場で対応できないことも多い。ただでさえクラシックギターというカメレオン的役割の楽器を選択してしまったわれわれは、楽器をどう操るかとは別に、様々な音楽を体験しておく必要がある。もちろん義務ではなく権利であるとは思うが、僕が尊敬するミュージシャンたちは例外なくそれを楽しんでやっている。

人生のある時期、生徒にやたらジャズミュージシャンが多いときがあった。このひとたちが一体何が楽しくて、あんなに長い時間アドリブをやっていられるのか、その頃の私にはまるで理解できなかった。どうしてもそこが知りたかったので、最高の師匠を見つけて私は飛び込んだ。結果自分がジャズミュージシャンになれないことはわかったが、彼/女らが何をもって楽しんでいるのか、その一端に触れることはできた。

ジャズを勉強するにつれ、多くのジャズミュージシャンが「クラシック演奏家には自由がない」と考えていることが分かった。私の尊敬するマイルス・デイヴィスやキース・ジャレットもしかりだった。マイルスに至っては「決められた音符を弾くだけのロボット」とまで言い切った。果たしてそうだろうか?これについては本当に何年も考えた。

わたしはジャズミュージシャンの多くが ”自由” というものを価値の最上位に置いていることを知った。そしてアドリブおよびインプロビゼーションこそがクラシックが手にしていない ”自由” なのだと。

たしかに ”自由” というものを最上位に置いたらその通りであろう。だがそうでなかったら違う世界が見えてくるはずだな。実は私にとっては音楽というものに ”自由” はそこまで重要ではない。

ではなにが重要か?

音が今そこで生まれたかのような生々しいリアリティ

自分が自由であることよりも こちらのほうがはるかに重要事であり関心事なのである。

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クラシックミュージシャンとは、あらかじめ台本を渡された俳優のようなものだ。

すでにあるセリフ、役柄、作家が起こしている出来事 それらにどう血をかよわせるか・・・

丹波哲郎、桃井かおり、松田優作・・・・(ふるいなあ)

 

ジャズミュージシャンは、お題を出されて(ないこともあるが)、それについてのフリートークを求められる芸人さんのようなものか。

 

音楽という同じものを扱っているようでいて、実は全然違うからだの使い方をしているのである。

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どちらにも共通して必要なのは、その時間 全身の毛穴を開いてクリエイティブであること、リアリティがあること、そしてその時間を生きていること

 

 

2025.11.10.

 

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“音符と音楽” への2件のフィードバック

  1. より:

    「悩むことと考えることは別物」と、あるものに読んだ折、内心“マジか⁉”と冷や汗したのが数年前。 
    以来、気にとめる気もなく、でもとまっていたようで。
    育児をめぐる母親達の会話のなかに「あぁコレ…」とそのことがよみがえる昨今、子育ての延長にはその気はなくとも、文化と文明をめぐってぼぉーっとすることのままあります。たとえば昨今ではデジタルツールのことなど特に。
    日常ちゃんと生きていないと<自分の言葉>なんぞはなかなか勝ち得ないものだナ、と感じており、文化と文明のくだりをおもしろく読みました。(仮に9割5分が嘘だとしても。興味深いもの、それ自体はやはり興味深いものとして拝見しました。)

    • 松下隆二 より:

      Yさま
       
      コメントありがとうございます。
       
      「悩むことと考えることは別物」そうでしょうね。
      同様に
      「わかることと動くこと」これも別物でしょうね。
      身体の動きやリズム感覚として体感できた時初めて《腑に落ちる》といいますか。
      料理でも音楽でもそこを楽しみたいなと思います。

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