自分にはまったく縁がないと決めつけていたものに ある日突然《関心のスポット》が当たることがマレにある。こんな時は人生で愉快な瞬間だ。滅多にないが、、、。
洋楽にふれたのは中学の頃だが 始めはビリー・ジョエルだった。ブライアン・アダムスやビリー・アイドルを聴くころになって ようやくエレキギターを手にした。ギブソンではないがチェリーサンバーストのレスポールだった。家でステレオにつないでジャ~ンと弾いてみたが フォークギターと感触がさほど変わらない。なぜだ? なぜプロのように「ジャキーン」「ギュイーン」という音が出ないのだ?
しばらく悩んで色々調べるうちに どうもエフェクターという装置が必要なのだとわかってきた。 早速 町のギターショップ(ヨシダ楽器店)に行き 一番安いエフェクターを買った。それは自分でハンダ付けして組み立てるエフェクターで値段は1,500円だった。プラモデルでさえ満足に作れない私だったが あのあこがれの「ギュイーン」「ジャキーン」のためだ。説明書とにらめっこしながら必死で組み立てた。なんとか出来上がり ワクワクしてつないでみた。ギターを弾いた途端「ウニョウニョウニョ~~~」。なんじゃこりゃあ~っ!そのエフェクターには”フランジャー”と書いてあったのだが 当時の私にはその違いなど知る由もなかった・・・
高校生になった私はレッド・ツェッペリン、T.REX等にハマっていたが 当時の同級生が関心あるのは主に日本のロックバンドで ボウイ、レッド・ウォーリアーズ、尾崎豊、プリンセス プリンセスなどの楽曲を演奏するためのバンドが主に組まれていた。とりあえずバンドがやりたかった私は 彼らに混じってザ・モッズ、ボウイなどのコピーに日々励んだ。
高校を卒業し大学を一年で辞めた私は ある日楽器店で目にしたバンドメンバー募集の張り紙をきっかけに とあるバンドに入った。3人いたメンバーは皆 私より3つ上。サイケデリックなファッションに身を包み 異様な存在感を醸し出していた。そのお兄さん達の影響で私の聴く音楽も急激に変化した。ジミヘン、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ピンク・フロイド、カン、ヘンリー・カウ、ファウスト、、、当時は三宅裕司の「イカすバンド天国」(通称:イカ天)という深夜TV番組が大人気で スタジオもライブハウスも物凄い熱気がある いわゆる”バンド・ブーム”の時代だった。
昼は倉庫作業、夜はスタジオ練習・・・という生活を4年ちょっと続けただろうか。将来食べていくためにバンド活動を断念したのが22歳。リーダーであり相方であった伊藤史厳さんからは当時本当に多大な影響を受けた。今でも精神的に私の良い兄貴分でいてくれてる。
その兄貴から二日前 ひさびさの突然メールが来たのだ。
「元気?これオモロいよ、息抜きにRockはいかが!?」
との言葉と共に貼ってあったのがラジオ番組のリンク『世界を広げる洋楽ロックの沼~はじめてのロックンロール・レディオ』
扇田裕太郎(シンガーソングライター)、綾小路翔(氣志團)、西園寺瞳(氣志團)の三人が洋楽ロックの歴史について語るシリーズで まず最初にとりあげてあるのが洋楽史上 最も売れたアルバム ピンク・フロイドの『狂気』についての話。
な、なんで氣志團??というのは私の偏見で やはりひとは見かけで判断してはいけないのである。このひとたち やってる音楽はあんな感じ(どんな感じやねん)だが ピンク・フロイドについて語り出すと もうどうにも止まらないのである。比較的マニアックな私にとっては知っている話ばかりであるが 話を聞いていて氣志團そのものに興味がわいてしまった。若い人たち とこれまで勝手に思っていたが 年齢的には池田慎司さんくらい。それなら私とほぼ同世代といってよいではないか。
それで氣志團を初めていくつか聴いてみた。ああ、なるほど、なつかしい80~90年代の日本バンド音楽の香りがする・・・(笑)
しかしピンク・フロイドとの類似性はまったく感じられない世界 (笑)。ひとは見た目で判断してはいけない・・・
2024.10.21.