唐人町ギター教室では、楽譜が読めない初心者の方からプロを目指している上級者まで、現役プロミュージシャンが丁寧に指導致します

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音符と演奏のはざまで、、、(その1)

 
ギター初心者の生徒さんにとって”ギターを使って音楽すること”は大変である。
 
まず『楽器を抱える』
そして『弦を右手指ではじく』
それから『指板上の弦を左手指で押さえる』
そしてここで大きな壁が立ちはだかる。
 
 
『五線譜上の音符の高低と長さを同時に読み取る』
そして読み取ったそれらの情報を『ギターの指板上あるいは弦上に反映させる』
あ、そういえばi,m,交互に動かしなさいって先生が言ってた気がする、、、。
 
 
頭に挙げた三つくらいは皆さんサラサラと出来るようになるから、人間の能力とはつくづく
大したものだが、《音符を読む》という作業については、勿論個人差はあるものの、多くの人が
苦労を強いられることのようである。《ギターの指板を覚えること》も然り。
だが『楽譜を読めること』、もっと具体的に言うと『音符を読めること』は音楽を楽しむ上で
実際のところどのくらい必要だろうか?
 
 
ここで私が言う『音符を読める』というのは、「音符を読み取るとほぼ同時に自分の楽器上に
反映する」能力のこと。
音程やリズム、音量だけでなくその曲の時代様式にふさわしいニュアンスまで実現出来たら、
クラシック教育の目指す”初見能力”としては完璧の部類であろう。
 
 
そういった意味だと、たとえば同じギタリストであっても、路上でフォークギター片手に
歌ってるお兄ちゃんお姉ちゃんの大半は”音符が読めない”。それでも彼らはコード(和音)を
読み、気の利いたストロークやアルペジオで即興的に伴奏出来る。
 
 
我々から見ると魔法であるかのような見事なアドリブをするジャズギタリスト達も、あらかじめ
書いてある音符を弾く段になると、その大半はとたんに汗をかき譜面にしがみつき始める
(彼らはその作業を”タマ読み”と呼び、敬遠する)。
たとえそうであっても彼らは指板上のコード・トーンのニュアンスやスケールをクラシック
ギタリストとは比べものにならないほど熟知し、その時の音楽状況に即興的に対応できる。
フォルクローレ・ギタリストもブラジリアン・ギタリストも同様である。
 
 
つまりクラシックミュージシャン以外のほとんどが”音符”ではなく”コード”に基づいて音楽を
楽しんでいるという事実に目を向けてみよう。何故にコードか?
それは先程申し上げたように、コードで音楽をとらえることで「即興演奏できる自由」を音楽に
確保しているのである。ジャズに至っては即興(アドリブ)がメインと言ってもいい。
そしてクラシック教育が前提としている”音符を瞬時に読み取る能力”というものは、即興演奏に
ほぼ関わりのない能力なのである(が~ん!)。
その事実から目を背け、「楽器演奏の基本はクラシック」という迷信を信じてうたがわない人は
他ジャンルとの異種格闘技の場に立って初めて途方に暮れることになる。
 
(つづく)
 
 

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“音符と演奏のはざまで、、、(その1)” への2件のフィードバック

  1. S.Hongou より:

    プリミティブな質問なのですが、楽器演奏のなかで、こんなにも違いが出現するのは、何故なのでしょうか?

    • ryuji より:

      S.Hongouさま
      「同じギターという楽器なのに、、、」という意味においてですか?私にもわかりませんです。
      「各ジャンルの演奏方法の違いがなぜ存在するか?」という意味ですか?(どっちにしろ私にはわかりませんです)
      ただその”ちがい”は明らかに存在します。
      ”ちがい”を認め合い、お互いに敬意をはらって幸せな共存を模索することが大切ではないかな、、、と思う次第です。

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