唐人町ギター教室では、楽譜が読めない初心者の方からプロを目指している上級者まで、現役プロミュージシャンが丁寧に指導致します

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私のオフな一日

 
2016年8月10日水曜日、本日は久しぶりのオフである。
 
今日一日をどう過ごそうか、という計画を立てないまま本日を迎えてしまった。
とりあえず8:30ごろ目覚め、布団に寝っ転がったまま、30分ほど読みかけの小説を読む。
いわゆる【伊達騒動】を描いた、山本周五郎の『樅ノ木は残った』だが、通して読むのはこれで
4回目くらいだろうか。
 
同じ本をスルメのように何回も味わうのが好きである。
【以前読んだとき見落としていたこと】に気付くことも楽しみのひとつではあるが、クラ
シック音楽にたずさわる人間は、【ものごとに飽きる】ようではつとまらない。
 
「いかにドラマの展開を承知していようと、毎回同じ衝撃を受ける瞬間はやってくるのです。それは実に不可思議なことのように思われ、私は神に感謝してこの奇跡の前に頭をたれるのです。それについては、一度名優と呼ばれる人達と話してみるのも良いでしょう。彼等にとっては、自分が一生取り組む作品を再演する度ごとが新たな発見につながるのです。それは、まさしく情感に与えられた特権とも言えます。」
~『ナディア・ブーランジェとの対話/ブルノー・モンサンジャン(音楽之友社)』より
 
 
9:00に布団から起き上がった私は、シャワーを浴び、軽い朝食を済ませ、必要なメールを
送信した後、練習をした。
じつはここ数年、自分にとって興味深い演奏をするギタリストのほとんどが、爪を使わない所謂
「指頭奏法ギタリスト」
なのである。
【あるテクニックを前提とした音楽や演奏】、および【洗練された世界】と距離を置きたいが為
今年5月爪を切ったのだが、長年伸ばしていたせいかギリギリまで切っても、なお指先から若干
爪が出ている、、、。
フランスでのわが師匠、A.ポンセ氏のような現在の状態だ。
A.ポンセのさらに師匠、E.プジョールは晩年のタレガ先生の教えを忠実に守って、指頭奏法を
つらぬいたが、「練習によって右手指にたこが出来れば、爪よりも高貴な音が出る」という
言葉を残している。早くタコができんかな、、、。
 
 
昔の巨匠はレッスンにおいて、とにかく【理不尽】だった。
これまでも何度か触れてきた話だが、今の先生たちは学生に対してフレンドリー過ぎる。
微に入り細にわたって手取り足取り親切に説明する先生が人気を博している。
最近の私は以前に比べて【合理的な練習】というものに関して懐疑的だ。
そういえば3000本安打を達成したイチローさんも、インタビューで「まわり道が大事だ」と
いう内容のことを言っていた。
ただ【合理的練習の可能性】を、ある時期追求したからこそ【まわり道】の有効性をかみしめる
事が出来るようになった、とも言えるだろうね、、、。
 
 
「オレがシロと言えばそれはシロ、クロと言えばクロ。オレがオキテだ。」
といったセリフが平然と吐けるぐらい巨匠になりたいが、生徒さんの数はアルマジロ並みに
激減するに違いない。
ギターの世界で巨匠が減り、巨匠的指導が減り、それらを求めない世の中になっていってるのは
何となくではあるが寂しい気がする。
 
 
11:00、いったん練習を終え、珈琲豆が切れかかっているのに気付いた私は、自転車に
乗って豆を買いに行く。
名店「美美」のマスター森光さんは、玄関の長椅子で横になっていたが、客であるわたしの姿
を見て、パッと飛び起きた。なんだか申し訳ない気がしつつも豆を200g 注文し、2階の
喫茶室に上がり、マスターの淹れる珈琲を堪能した。
「こちらのスタッフの修業期間は何年でしたっけ?」
「うちは3年です」
「マスターは手取り足取りご指導される感じではないでしょう?」
「そうですね。こういうことは本来教えられることでもないし、、、」
「見て盗め、と、、、」
「そうそう、、、」
「森光さんがお若いころ修業された『吉祥寺のもか』(ネルドリップ自家焙煎の伝説的名店)も
そんな感じだったんですか?」
「そうですね。結局『もか』から出たのは、山形のコフィアさんとうちだけですね」
 
 
珈琲を2杯いただいて豆を購入した私は、自転車に乗り帰路についた。
なんとなく気になって『山形のコフィア』さんを調べたら、『もか』のマスター標さんとの
師弟関係についてなど興味深い話 がつづられていた。
 
 
さてさて、、、もうひと練習するか、、、。せっかくのオフだし、、、、。
 
2016.8.10.
 

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