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ザ・ソロ・ギター!

 
今から何年前だろうか。
楽譜にあるサインの日付が2009年12月18日となっているから、約6年半前ということに
なる(たいして昔ではないんだな、、、)。
大阪のギターの名手、古川忠義さんが来福され、サロン・コンサートをされた時のことだ。
 
 
古川氏は当時、ソロギターのためのベンチャーズ名曲集「ハイブリッドベンチャーズ」の楽譜
およびCDを発売された直後で、そのキャンペーン中ということだった。
その時ベンチャーズの名曲の演奏は当然として、J.マラッツ「スペイン・セレナーデ」
J.S.サグレラス「マリア・ルイサ」といった、クラシックギターのレパートリーまでバッチリ
弾かれたのには驚いた。
それもそのはず、古川氏はご幼少の頃からクラシックギターの英才教育を受け、15歳にして
デビュー・リサイタルを開催するほどの、言わば「関西ギター界のサラブレッド」だったのだ。
MC(演奏の間のおしゃべり)も関西の方ならではの流暢なもの、、、。
だがその話の中に、私がギタリストとしてその後活動していくうえで、忘れることの出来ない
重要な示唆に富んだエピソードがひとつあったのだ。
 
 
かつて古川氏が、お得意の《ひとりベンチャーズ》を、あの加山雄三さんの御前で演奏した時の
話である。
スーパー・ハイテクニックかつスーパー・ハイブリッドな『ギターソロによるベンチャーズ』の
熱演を終えた古川氏に、エレキの若大将が言ったひとことが
「きみはともだちがいないのかい?」

 
この一言に若大将がこめたのは「ベンチャーズの音楽は、仲間を集めて楽しくやればいい。
そんなひとりで難しい思いをしながら弾くもんじゃないだろう。」ということである。
 
 
この一言を聞いて呆然とした、、、という古川氏の話を聞いて、わたしは《ソロ・ギター》
には、大きく分けて二つのキャラクターが存在することに気が付いたのである。すなわち
《ソロ・ギター》というものが人をひきつける場合の『二つの側面』についてである。
 
 
ひとつは『ひとりの人間がこれだけ多人数分のことをやっている』という、いわば【近代
テクノロジー賛歌】的な側面。
もうひとつは『ひとりの人間でなければ表出が難しい』いわば【孤独の表現】的な側面。
前者はプレイヤーの技術に評価が向きやすく、後者はプレイヤーのキャラクターに評価が向き
やすい(どっちにしろソロ演奏の評価というものは《楽曲そのもの》よりも《演奏者個人》に
向きやすいのだ)。
 
もちろんそれぞれの良さがあり、どちらが良い悪いなどと言うつもりは毛頭ない。
ただソロを演奏する側に、その自覚がちゃんとあるかないかは重要だと思うのだ。
 
 
以前(これも不思議と大阪絡みだが)、ある大阪の知人の家に泊めてもらった時の事。
YouTube 動画を5人で観ていた(え~、その時のメンバーの内訳は、男性3名、女性2名で
全員ミュージシャン)。
ある有名クラシックギタリストの動画を見始めたのだが、あまりのスーパーな演奏に男性3人は
《おお~っ!すげ~っ!》と目が点になってみている中、女性ふたりはいつの間にかその場から
消えていた、、、。
その消え方のあまりのうまさと、『スーパー・ハイテク演奏への興味のなさ』が露骨すぎて、
これも非常に強く印象に残った出来事だった。個人の趣味趣向という話とは別に、やはり男性と
女性の違いもあるのだ。
 
(特に4:00からの技術のすさまじさよ、、、)

 
 
【孤独の表現】的側面をひとつ、、、。(巨匠~動いてくれ~!)

 
最後に【近代テクノロジー賛歌】代表格(?)

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