唐人町ギター教室では、楽譜が読めない初心者の方からプロを目指している上級者まで、現役プロミュージシャンが丁寧に指導致します

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親愛なる先生(坂本一比古編その4)

坂本先生はギターが上手かった、、、。
 
自分の師匠をつかまえて“上手かった”とは失礼の極みだが、これは本当の話である。
先生のご贔屓のギタリストは、“ギター界のプリンス”といわれている英国のジョン・ウィ
リアムスだったが、練習中の先生はまさにジョンさながらに弾けた。(言い過ぎ?)
ちなみに日本を代表するテクニシャン・ギタリスト藤井敬吾氏がツアーで来福中、楽器店
で練習中の先生を見て「いやー、九州行ってびっくりしたー。坂本先生って弾くんだワ。」
と地元に戻られてからお弟子さんたちにもらされていたというエピソードがある。
 
 
ところがこれが本番になると駄目なのである。
先生は極度の「あがり症」だったのだ。
そんなに本番の先生の演奏がひどかったという記憶は無いが、発表会のトリの講師演奏の
後、いつもガックリ肩を落とされていた姿は毎度の事だったのでよく覚えている。
ある発表会の直後など、先生がうらめしそうに中学生の私を見ながら言ったことがある。
「この子はどうしてアガらんのかねぇ、、、。」
私は先生を励まそうと次のように返した。
「アガってもしょうがないでしょう。」
まるで人生を達観しきったような中学生の言葉に先生は益々落ち込んでしまった。
しまった、、、、逆効果だった、、、、。
(今振り返ると当時の私が達観などしているはずがなく、単に背負っているものが無さ過ぎた
だけであったのだが、、、)
このときの会話は後年“飲みの席”でよく先生が述懐された。よほどショックだったらしい。
 
 
 
“飲みの席”といえば先生は本当に酒飲みだった。
普段は物静かだが酒の席ではよく話をされた。
なんでも私が子供の頃から、「こいつが大きくなったら一緒に飲みにいくぞ」と思ってい
たらしい。現在に至るまで私は下戸(酒好きな下戸)だが、でも先生のその気持ちは最近
よくわかる。子供の頃から教えていた生徒が大きく成長する姿を目の当たりにすると、下
戸の私でさえそういう気持ちになる。
 
 
結局7才からギターを始めた私は、留学する23才までの16年間、坂本一比古先生に師
事していた。先生は私が帰国し、活動を始めるのとほぼ時を同じくしてクラシックギター
界から身を引かれた。時々天神の街をぶらぶらされてる姿をお見かけしたが、それから数
年後のある日突然に、ほんとうに突然に逝ってしまった。60を少し過ぎられたほどだっ
たが、おそらく深酒がたたったのだろう。
毎日の忙しさにかまけて、ろくに会いに行かず、晩年の先生に孤独な思いをさせたことは
いまだに悔いが残る。私にとって実の父のような存在だったのに、、、、。
 
 
 
坂本先生の言葉で覚えているものは、レッスン室でのものよりも“飲みの席”でのものが圧
倒的に多い。
「松下君には“本当にやりたいこと”を思いっきりやって欲しい。」
「小さい頃の松下君を見て、“この子は才能無いな”と思った。」
「音楽家は一生勉強するのをやめたらいかんよ。」
何も言わずただ黙っていても、こちらを包み込んでくれるようなあたたかさを先生はいつ
も持っていた。ギターを通じて教わったこと以上に、そういった“安心感”で私を包み込ん
でくださっていた事に対し、いまの私は貴さと有難さを感じている。
 
「小さい頃から見てるから松下君は自分の子供のような気がする、、、。」
 
 
(おわり)
 

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“親愛なる先生(坂本一比古編その4)” への2件のフィードバック

  1. 天野祐次 より:

    松下さん、ご無沙汰です。フルートの天野です。
    ホームページ拝見させていただきました。
    とてもご活躍の様子で何よりです。
    ブログはなかなかに面白いですね。勉強になりました(^^)
    また、覗かせていただきますね。
    面白いお話をどんどん書いてください!

    • ryuji より:

      うわあ~っ!お久しぶりです。お元気ですか?
      根が暗いのでブログは面白い話より暗い話の方が多いですが、更新がんばりまーす。また覗いてください。
      お待ちしてます。

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