唐人町ギター教室では、楽譜が読めない初心者の方からプロを目指している上級者まで、現役プロミュージシャンが丁寧に指導致します

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親愛なる先生(坂本一比古編その1)

 
 
あれは7歳になってすぐの頃だった。
 
母のマリンバの先生の紹介で、私は“ギター教室”へ通う事に決まった。
当時住んでいた福岡市東区の香住ヶ丘から天神の大丸ビルのそばにあるギター教室までは
バスに揺られて約一時間。行動範囲の狭いその年齢の子供にとっては「天神」は非常に遠い
大人の町だった。人は多いし、車の排気ガスで空気が常によどんでいる。大人女性たちの
化粧の臭い、大人男性たちのタバコの煙、、、。しかも乗り物に滅法弱かった私は、天神
にバスがたどり着く前に必ず吐いてしまうのだった。
そんな当時の私が週一回バスに一時間揺られて“天神”に通うことになるとは、、、、。
今となっては思い出せないが、これは私にとっても親にとっても一大決心であったに違い
ない。
ちなみに昭和53年の話である。
 
 
初めて“ギター教室”に行った日のことは、昔のことは片っ端から忘れる私にしては
はっきりと覚えている。
母に連れられた私は、まず当時母が非常勤講師を勤めていた“福岡雙葉学園高等学校”で
母が用事を済ませる間、ひたすら待っていた。カトリック系の学校だったが当時の私は無
論そのような知識は無い。ただひたすら神妙な顔をして座っている私を見かねてか、一人
の年老いたシスターが私に「ごほうびよ」と言ってチョコレートをくれた。プラスチック
のケースの中にきらきらと光る色とりどりの紙に包まれたチョコが入っている。私はお礼
を言って受け取った。学校を出た後、あのシスターが校長先生だ、と母から聞かされたが
“校長先生”という職は太ったおじさんがなるものだと勝手に思っていた私は、そう言わ
れて不思議な気がした。
 
 
 
その後われわれ親子は“ギター教室”へと向かった。
実家から天神までもかなり遠いが、途中母の職場に寄るのは今考えてもかなりの回り道で
ある。それだけの移動距離で吐かなかったのは当時の私としては奇跡に近いが、おそらく
それなりに緊張していたのだろう。
 
 
ギター教室に着くと小太りの、無口だが愛想の良いおじさんが出てきた。
その日はギターに触った記憶は無い。
状況としては先ほどの学校と同じく、母と先生が会話しているのをひたすら待っているだけ
だった。子供にとってはどうでもいい話ばかりである。
話が一通り終わって、先生に挨拶するよう母が促した。
「なんていえばいいの?」
「よろしくお願いします、でしょ。」
小声での母子舞台裏を経て、私は“ギターの先生”に向かってはっきりと言った。
「よろしくおねがいします。」
先生はニコニコと笑いながら
「はい、よくできました。」
“微笑ましいやりとり”に母と先生は声を上げて笑ったが、こちらは真面目にやっているだ
けに、大人達を恨めしく思った。
 
 
 
それから家に帰り着いた私はしばらくして重大な事に気がついた。
その日の私の敢闘賞である“あのチョコレート”を、なんと初めて行ったギター教室に置き
忘れてきてしまったのだ!そういえばあの先生はチョコレート好きそうな顔をしていたし
きっと食べてしまうに違いない、、、。
がっくりする私に母の言葉が追い討ちをかける。
「挨拶代わりのお土産と思われてもしょうがないね。あきらめなさい。」
 
 
 
 
翌週レッスンに行った私は、教室の扉を開けると同時に、室内を舐めるように見回した。
 
ない、、、。やはり食べたんだ、先生、、、、。
 
そんな私の気持ちと関係なく無情にも初レッスンは始まった。
 
 
 
レッスンが終わって帰ろうとする私に、「そういえばこのあいだ忘れてたよ。」と先生は
見覚えのあるあの箱を差し出した。ちゃんと中身の入っているあの箱を、、、、。
 
“この先生いい人だ!”
 
 
あれがわが師、坂本一比古に寄せた信頼の記念すべき第一歩だった、、、、、、。
 
 
(つづく)

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“親愛なる先生(坂本一比古編その1)” への6件のフィードバック

  1. 素晴らしいですね。
    同じ年頃の私は、山野を駆け巡り、ザリガニを釣ったり、蛇の脱皮を手伝ってました。

    • ryuji より:

      素晴らしいじゃあないですか!
      昔はザリガニたくさんいましたね。食パンで簡単に釣れたもんでした。さすがに蛇は触れなかったな、、、。

  2. 岸本麻子 より:

    お稽古を始められた昭和53年に、私産み落とされました・・・。
    先日は、おつかれさまでした。
    いつも楽しく拝見しております。
    明日の病院コンサートの準備がはかどらず、こちらに遊びに来てしまいました・・・w
    ブログ更新頑張ってください!楽しみにしております。

    • ryuji より:

      初の「いらっしゃいませ」ですね。
      ツアーお疲れ様でした。いろいろと本当にお世話になり、また助けられました。今年もあと何回かご一緒の予定があるので嬉しいです。
      明日のコンサート頑張ってください。一緒に研鑽を積んで成長してゆける仲間がいるってホント幸せだなあ、と思っています。

  3. 松本剛雄 より:

    はじめまして(時期遅れのコメントです)
    フォトギャラリーの写真と相まって、小さいころの先生が想像されます。
    この年になると他人のことを詮索したがり、失礼なことですが、この様な話に興味津津です。
    因みに、フォトギャラリーによると、丸坊主の中学の部活は陸上部とのこと。瞬発力(バネ)と耐久性(継続)が求められる中距離ランナーでは?と勝手に想像しています。

    • ryuji より:

      松本さん、ようこそ!
      そうです、わたしは1,500m専門でした(決して速くはありませんでしたが、、、)。瞬発力はなかったのでひたすら持久力勝負の人間です。それはいまだにそうかもしれません(笑)。しかし中体連に出場したりすると、区大会でもバケモノみたいに速いのがいるんですよね。勝負にならないほどの歴然とした差にがっくりしますが、そんな時は「コツコツと自己ベストを更新」という姿勢に向かうのが何よりだということを学びました。

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