「私はこう弾きたい、といわれたらそれはもちろん自由なんだけど、
それだったら僕がここに来る意味は無いんだ。」
齊藤先生のアドヴァイスはその全てが、いっさいの権威とはかけ離れ
「ただ音楽を活き活きと演奏する喜び」のためだけに存在していた。
留学中に身にしみて感じた事がある。
“クラシックやポピュラーの音楽理論”は世界中どこで勉強しても同じ内容だ。
やはり人に教えを請うのならば、その人からしか学べないような事を吸収すべきだ。
私に向けて発せられる、その先生の体験のみを通した言葉や演奏、、、、。
そして齊藤先生はつねにそういった大切な言葉を、そして演奏を惜しげもなく分け与えて
くださった。
団伊久磨の“花の街”のメロディーを演奏していた時の事。演奏を聞いていた受講生の
ひとりが「いまの演奏は“輪になぁってー”の“てー”にアクセントがかかっているけど
言葉にのせるアクセントとしておかしいのではないですか?歌詞の言葉を尊重するならば
“輪”のほうにアクセントをかけるべきでしょう。」
非常に的確なするどい意見である。私は自分の注意力の無さを恥じ、演奏に修正を加えよ
うとしたその時、横から先生が
「いや、いいんだ、これで。団さんがこう唄ってたから、、、。」
これには誰も一言もなかった。
そういえばその数年前、C.ドビュッシーの無伴奏フルートのための「シランクス」を
齊藤先生がレッスンされていた時に出た話。
先生が若い頃“フルートの神”ともいわれるM.モイーズのレッスンを受けたとき、レッスン
の中でモイーズが言ったそうである。
「うん、だってそこはドビュッシーがそう言ったもの、、、。」
生きた経験から紡ぎ出されるアドヴァイスほど貴重なものは無い。
いまは亡き齊藤先生の私に対するアドヴァイスの中で、どうしても忘れられないものが
ひとつある。
ある晩の宴会中のことであった。
アルコールもほどよく入り、温泉に入りたい人は入り、めいめいが好き勝手に楽しんで
いる時間である。
私はヴァイオリンの受講生に頼まれ、宴会場の片隅で一緒に「初見演奏」をしていた。
(*「初見演奏」とは弾いた事のない曲の譜面を演奏する試みである)
われわれの拙い演奏を横で聴いていた先生が、「その曲はおそらくもっと速いテンポで
演奏したほうがいいと思うよ。」とおっしゃった。
「いや、初見なので取り敢えずゆっくりからやってみようかと、、、、」
私はつい言い訳めいた事を口にした。
それを聞いた先生は息を深々と吸われた。いつもの“クールなアドヴァイス”を期待する
私に、先生は顔を近づけるなり一言、
「ひ・く・のっ!」
あまりの事にのけぞってしまった。
だが何故だろう、、、。
先生のあのアドヴァイスがわたしには無性にうれしかった。
生身の先生がぶつかってきてくださったようなそんな衝撃だったのだ。
わたしはファザコンかもしれない、、、。
齊藤先生が亡くなられて三年の月日が流れようとしている。
だが先生ご不在の空虚さよりも、さまざまなアドヴァイスや思い出に満たされている事を
感謝する気持ちの方が強い。
どうしようもなくスランプだったあの時期、先生と出会う事ができて私は本当に救われた。
いまでも先生の強くやさしいまなざしと、よく響く低い声が自分の中でよみがえる。
そして本番前の楽屋で緊張して震えているときなど、何処からともなくあの声が降ってくる。
「ひ・く・のっ!」
(おわり)
楽しく懐かしく読ませて頂きました。Facebookにシェアさせて頂きましたm(__)m事後承諾でスミマセン
新音泉講座を始めようかと思いはじめてます。
また、お会いしたいですね。
うわあ~っ!荒田先生だ、、、。お読みいただいたんですね。うれしいです。恐縮です。
いや~、あの節は本当にお世話になりまして、、、。
最近ご無沙汰気味で失礼をいたしております。
「新音泉講座」いいですね!楽しみにしております。ぜひ参加したいです。
齊藤先生に受験から卒業して1年、計6年ほど教わりました。もうすぐ70になりますが今だから先生と話をしてみたいです。
宇津木芳夫さま
コメントいただきありがとうございます。
諸先輩方から、皆様それぞれの中にある『齊藤先生の思い出』を伺う機会がほしいと思っています。
当時のことでなにかひとつ、もっとも印象に残ってある”できごと”もしくは”ことば”など分けて頂けるなら、これに勝る喜びはございません。
甚だ狭いコメント欄ではありますが、短くても、長文でも大歓迎です。
なにか思い出された折にはぜひよろしくお願いいたします。
40年近く前、結婚祝いに料理鍋をもらいました
宇津木芳夫さま
あ、そうなのですね!
私の場合 年に一度の講座でお会いするだけでしたので
先生のプライヴェートの御姿は残念ながら
拝見することが叶いませんでした
他の方から伺った話によると
山小屋をご自分でつくられて そこには
”楽器の持ち込み禁止”
という掟があったそうで・・・
「仮に自分の楽器をへし折られたとしても
ひととして生きてゆける強さを
日ごろから楽器奏者は持っていてほしい」
(おおよそですが)こういうことを
おっしゃってた記憶もあります