ブログ内のあたらしいカテゴリー始めました。その名もまっちゃんの『観てみて動画』。
せっかくこういう時代ですので、その時その時のわたしのイチオシ動画をYou tubeなどから
ひろって貼っていきますので、よかったら観てね♪
というわけで第一回目は「ジャック・ブレル」です。
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どの本で読んだか、あるいはどのCDのライナー・ノーツで読んだのか忘れてしまったが、
その言葉はハッキリとおぼえている。
「作曲は創造的行為だ。演奏は動物的行為だ。」
J.ブレルのこの言葉にふれた瞬間、私は何の抵抗もためらいもなく、すんなりと納得した。
だがこの言葉を引用した当の日本人ライターは「(あれだけの業績を残したひとが)そんなこと
を言うなんて信じられない。演奏は決して《動物的行為》などではない!頼むからそんなこと
言わないで、、、。」といった感じで、どうもその人はこの言葉を生理的に受け入れることが
出来なかったようだ。
きっとブレルの言う《動物的行為》という言葉に対してひどくマイナスのイメージをいだいてる
に違いない。
だが私はそうではない。そしてプロ・アマなど関係なく舞台に立った経験の多い人ほど、
<ステージ>とは動物的な本能だけを頼りに、あるときは怯えながら一歩一歩、またあるときは
目をつぶって駆け抜ける、時には気分がよく時には惨めな気持ちになる、そんな場所だと知って
いる。
1950年代初め頃から自ら作曲をし、活動を始めたJ.ブレルはデビューアルバムに収録した
『OK悪魔』がジュリエット・グレコにとりあげられ、その頃から徐々にひとびとにその名を
記憶されるようになる。その後も『愛しかない時』『懐かしき恋人の歌』『行かないで』
『アムステルダム』などの名曲を次々と発表。活動も絶頂期にみえた1968年、ステージ活動
からの引退を表明し、以後俳優、監督、脚本家として映画製作に力を入れる。1977年には
久しぶりのアルバム「偉大なる魂の復活」を発表するも、翌78年肺癌のため49歳で死去。
ベルギー生まれのフランデレン人でありながら、フランス・シャンソン界を代表する作曲家、
歌い手として偉大な足跡を残した。
と、まあ大変大雑把に触れてはみたが、こんなこと今どき調べればすぐに分かることなので、
ご興味ある方はもっと詳細な世界へどうぞどうぞ、、、という訳で個人的な話に突入する。
わたしがJ.ブレルに触れたのは、もといJ.ブレルの曲に触れたのは今から二十八年前、
高校生のときであった。
近所のレンタルビデオ屋さんで借りたデヴィッド・ボウイのライヴ・ドキュメンタリー映画
『ジギー・スターダスト・ライヴ』の中盤でJ.ブレルの「マイ・デス」という大変地味な曲を
アコギ弾き語りでデヴィさんがこれまた地味に披露したのだ。ブレルの原曲とは雰囲気がかなり
違うヴァージョンだが、この曲がジャック・ブレルの名を私の中にしっかりと印象付けた最初の
曲となった。
次の出会いはその5~6年後、シャンソン歌手愛川智子さんのコンサートで『懐かしき恋人の
歌』というブレルの代表曲を伴奏者として演奏したときだった。
次はさらにその4~5年後、北九州市八幡中央商店街のとある喫茶店で流れていたニーナ・
シモンという黒人女性歌手のピアノ弾き語りによるアルバム「ニーナとピアノ」のラストに収録
されていたJ.ブレル作曲の『デスペレット・ワンズ』。この曲は私自身の編曲による初ソロ
CDのラストに収録するほど個人的愛着のある曲となる。
J.ブレルがステージ引退公演をオランピア劇場で行なった様子は映像として残っているが、
冒頭ブレルが勢いよくステージに駆け込んでくるシーンから始まる。これについてはブレルの
次女、フランス・ブレルが以下のように証言している。
「父がなぜステージに走って入ったか分かりますか?、、、とても怖かったんです。だから
走ったのです。」これは毎回そうであったらしい。
繊細で張りつめている人間であればなおさら《ステージ》は誠実に一歩一歩、すすんでいくしか
ない。もはや思考している時ではない。そこではまさに動物としての本能のみが頼りである。
日々の活動の中で、何年かおきに来るジャック・ブレルとの出会い、、、。
そして最近またジャック・ブレルとのうれしい再会があった。
近頃はこの動画(Ces gens-là 「あの人たち」)ばかり観ている。
そして冒頭の言葉を思い出す。
「作曲は創造的行為だ。演奏は動物的行為だ。」
ジャック・ブレル
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