昨年同様、今回も私の尊敬するミュージシャン、木下尊惇さんに
全面的にお世話になりながら、の旅でした。
フォルクローレ・フェスティバル「コスキン・エン・ハポン」への
参加のほか、仮設住宅にお邪魔してのパレードやコンサート、福島
市内にある素敵なバー「マジー・ノワール」でのライヴ、富田小学校
での子供たちとの演奏、その全てが大切なおもいでとなります。
昨年初めて知り合えた人たちとの再会も、今回非常に嬉しかった
です。温かい管野ご夫妻、非常に楽しい高橋ご夫妻、ダンディーな
五十嵐さん、いつもすごいご馳走でもてなして下さる柚木仮設の
阿部ご夫妻、本当に有難うございました。
今回は本当に毎日ご馳走ばかりでした。
食品に関しては、厳しいチェックが行われているので、福島でokが
出た食べ物は他県のものよりむしろ安全なのです。しかし風評とい
うものは本当に怖いものです・・・。
今回もいろいろ考える事の多い旅でした。自分の中でまとまって
いくのはまだまだ時間がかかりそうです。
最後に、今回も一緒に演奏してくださったケーナ、シークの素晴
らしい名手、菱本幸二さん、アルパ界の美しい花、上松美香さん、
スタッフとしても支えていただいた、りかおさん、そしていつも
力強い言葉、行動、演奏で励ましてくださる木下尊惇、愛ご夫妻
に心から感謝します。
ありがとうございました。 2012.10.11
12月に、福島県二本松市に、私の所属する、福祉住環境コーディネーターの全国会議があり、行く予定にしております。
浪江町の仮設がある場所です。
これからも、放射能や風評被害との戦いは、長く続いていくと思います。
遠く離れた地にいる人間は、忘れないこと。
この簡単でいて難しいことを、貫き通すことが大事だと思います。
去年、見せて頂いた、あたたらやま(変換できません)の写真の美しさを、まだ覚えております。
そうして、智恵子のご主人であった、高村光太郎の「道」という詩を思い浮かべます。
先生方の活動が、あの地に生きる子供たちの、道標になることを願っています。
遠く仙台に根っこをもつ、私には、この福岡の地の方々が、忘れずにいてくださることが、なにより、嬉しいことであります。
道程 高村光太郎
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため
「道」でなく、道程でした。敬意をこめて、上げさせていただきます。
しつこくて。すみません。
1945、昭和20年8月15日、日本人は同じ景色を見ていた。
でも、今回は違うのです。
仙台は復興バブルで、そうして、被災地ではパチンコ依存症の方が増えています。
私たちは、忘れては、ならないのです。