唐人町ギター教室では、楽譜が読めない初心者の方からプロを目指している上級者まで、現役プロミュージシャンが丁寧に指導致します

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今さらながらギターと私・・・

7才でクラシックギターを始めたのは本当に偶然であった。

学生時代から現在までマリンバを弾き続けている母が、ある日私をマリンバ教室に連れて行き「この子に何か楽器をさせたいのですが何が良いでしょう?」と聞いたらしい。すると(一時期N響のパーカッション奏者でもあった)マリンバの先生が「ヴァイオリンは楽器の値段が高いから止めときなさい。ギターなら良い先生を知ってるから、、、」とのご返答。その先生の一言で私は今ギターを弾いている。本当に人の運命はわからない。
子供の頃からやっていて良かった、と思ったことは一度もない。何をやっても不器用な私は到底“ギターの神童”にはなれなかった。私の師、故坂本一比古先生は「この子はプロにはなれないだろうな、、、」と思いながら私をレッスンしていたらしい。
当時親に連れて行ってもらったギターリサイタルは常に(世界的名手である)山下和仁氏のものだった。そんなことを知らない子供の頃の私は「あれが一般プロのレヴェルで、あのくらい弾けないとプロにはなれないんだろうなー」と思っていた。(そんな、、、、貴方、、、とんでもない、、、《苦笑》)したがって自分には到底(プロの世界は)縁のない世界かと思っていた。
クラシックギターをやっていて良かったと最近はよく思う。
世界のあらゆるところに、そして民衆の傍らに常にあり、その土地の音楽としっかりと結びついている楽器。そして6本の弦という限界(弦界?)の中に無限の可能性を宿している、そんなところが好きである。
ピアノやヴァイオリン、フルートのように流暢かつ華麗に演奏しにくい。楽器としてのそんな不器用な部分にも愛着を感じる(私が下手なだけか、、、)。
あとクラシックギターは古典の時代から模倣の歴史を背負ってきた。ある時はオーケストラのように、ある時は弦楽四重奏、またある時は声のように、太鼓のように、水のように星のように空気のように響かせないといけない。
だからこそギタリストは“ギターファン”にとどまらず音楽に、人間に、世の中に、宇宙に心を向けなければ(広げすぎた、、、)目の前のギターを弾く意味がないんじゃないかな。
心を閉じてギターにだけ集中している人の演奏からは“ギターの音”しか聞こえてこない。
我々がすばらしいギター演奏を前にするとき、ギターの音を通じて聞こえる『ほかの何か』を聴いているのではなかろうか。
 

2012.9.27

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“今さらながらギターと私・・・” への2件のフィードバック

  1. こんばんは。
    先生でもそんなことをおもわれるなんて。
    もう、先生のもとでレッスンを受けさせていただいて、五年目に突入いたしましたが、
    先日のレッスンでは、久しぶりの先生の、ぴっつ、が出て、自分の上達のなさに、
    きっと、しばらくギターは触らない(嘘です)
    最初に教えて頂きました、坂本先生。
    そうして、不思議につながった、今の環境に感謝しつつ。
    この楽器の難しさに、どうしたもんだかと悶絶しておりますが、
    お見捨てなきよう、ご指導のほどを。
    ひらに。

    • ryuji より:

      コメント有難うございます。
      そうですか。五年目ですか・・・。
      なかなかレッスンが上達しなくて申し訳ございません。
      ブログに書いていたように私は不器用な人間ですが、
      最近は自分の不器用さ加減に感謝し、楽しんでいます。
      不器用なほうが、周りの景色をゆっくりと楽しみながら進んでゆける気がします。
      こちらこそ、お見捨てなきよう今後ともよろしくお願いします。

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