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外国人として

 
ギター専門誌「現代ギター」5月号のパブロ・マルケス来日インタビューを読んでいて、
東京在住のアルゼンチン人ギタリスト、レオナルド・ブラーヴォの言葉が引き合いに出さ
れており私の目を引いた。
どういった文脈での彼の言葉なのかは定かでないのだが、とにかく以下の言葉である。
 
 
「外国人には本当のタンゴは弾けない」
 
 
 
 
私はレオナルドのことを尊敬しているし、(また一方的ではあるが)友達だと思ってい
る。また共に音楽をやったことのある人間として、彼が音楽に対してどれだけ誠実に
向かい合っているかもよく知っている。
 
 
彼のこの言葉に含まれた内容は、真剣に音楽に向き合う人なら必ずぶつかる話では
なかろうか。すなわち
「真の意味で、外国人に外国の音楽ができるのか?」
というものである。
非常に厳密に言えば、彼の言っている事は正しいと思う。
 
 
 
しかしそれで話が終わったら、われわれはネイティブに対して常に引け目を感じながら
生きてゆかなければならなくなる。もしくは“ホンモノの音楽”をやるために、ミュージ
シャンは明日から全員「邦楽演奏家」にならなければいけない、、、。
 
 
 
二年前「さくらに寄せて」というタイトルの邦人作品CDを製作した。
その製作過程で、私は自分の中にある「日本人の血」などというものは一切信用しな
かった、というか出来なかった。
何故なら私は邦楽器を聴いて育ったわけではない。音楽についての最も古い記憶は、
近所の小学校で鳴り響いていたチャイム(なんと“白鳥の湖”だった)、母が当時愛聴して
いたS.メンデス&ブラジル’66の“マシュ・ケ・ナーダ”やフランク・プゥルセル・オーケス
トラの“アドロ”などぜーんぶ外国の音楽である。
したがってCDに収録すべく選曲した日本の楽曲は、むしろ私にとってクラシック以上に
「外国の音楽」であった。
 
 
以前にギタリストの福田進一氏からこんな話を聞いた。
あるフェスティヴァルの楽屋でブラジルのギターデュオ“アサド兄弟”と、ピアソラ楽団の
名ヴァイオリニスト、F.スアレス・パスと同席した折の事。
それまで仲良く話をしていたアサド兄弟が楽屋を出て行った直後、スアレス・パスが一言
「ブラジル人にアルゼンチン・タンゴがわかってたまるけぇ~」
 
 
果たしてピアソラ本人はどうだったのだろう、、、。
そういったタンゴ愛とは関係なく(かどうかは知らんが)アサド兄弟の演奏はお気に入り
だったみたいですが、、、。
 
このテーマについてはプロ・ミュージシャンが10人いたら10人分の違う答えが存在
するかもしれない。
とりあえず諸先輩方のお言葉に耳を傾けてみたい。
 
「私は、アントニオ・カルロス・ジョビンなどに代表されるブラジル音楽に20年以上前
から親しんできた。リスナーとしてね。ブラジル音楽は、ブラジルに住む彼らの音楽で、
私にやれるものではない。だから、私が考えるブラジル音楽とはどういうものなのかを
表現することが、重要なんだよ。」(ロン・カーター)
 
「危険というのは、たとえば次のように言うことです。“あなたがたヨーロッパ人には
ベートーヴェンとブラームスがあり、我々には能がある。あなたがたはベート-ヴェンや
ブラームスは理解できるだろう。でも我々だけが能を理解できるのだ。”
これは私にとっては馬鹿げたことなのです。ドビュッシーの音楽をすばらしいと思うとき
私は、自分の感受性からして、一部分しかわかっていないことは承知しています。でも、
真の交流が成りたつためにはそれでじゅうぶんなのだと断言できます。」(武満徹)
 
 
ルーツやオリジナルに敬意を払うと同時に、というかそれ以上に「人間としてクリエイテ
ィヴである」ということが求められている気がする。
 
 
いろいろ考えるきっかけをくれてありがとう、レオ。
 
 
2013.4.22

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“外国人として” への2件のフィードバック

  1. ド素人の意見です、笑ってください。
    ボサノバは、絶対に日本人には無理だと思うし、
    フラメンコも不利だと思う。
    津軽三味線も、東北人にはできても、九州の人間には、無理だと思う。
    それに挑んで、もしかしたら、違う光が見える。
    違う形に輝く。
    それでも、いいんじゃないかなぁ。
    と、思う、音楽音痴でした。

    • ryuji より:

      「やれる、やれない」
      「正しい、間違い」
      こういった観点を音楽の世界に持ち込みすぎると、
      音楽は博物館の陳列ケースに入ってしまいます。
      その瞬間から音楽は権威となり、死にはじめる気がします。
      そういったことからある程度自由なので私は「ロック」が
      好きなのかもしれません。
      その音楽が面白いかどうかを決める主導権は「権威」でなく
      「リスナー」が持っているのがやっぱり健全ですね。

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