来月、柳川のキースコンサートまで一か月を切っている。
思えばこの一年越えの期間、キースにどっぷりだった。
彼の録音、彼のライブ映像、彼のインタビューにおける言葉、それらの中から彼が大切にしているもの、感じているもののかけらを、ある時は追いかけ、ある時は距離をとって眺めた。こんなにもひとりの人間を短期間で濃密に追い続けた経験はかつてない。それについては今回この企画を投げてくださったギタリストの壇遼さん、柳川市民文化会館プログラム・ディレクターの根本次郎さん、そして私の試行錯誤にお付き合いくださったギタリストの松本富有樹さん、以上お三方に現時点で大変感謝している。
当日、福岡市から時間をかけて駆けつけてくださる予定のお客様も、観光の計画を立てたりなにやら楽しそうである。レッスンの折「メインはうなぎです」とハッキリおっしゃる方もいて思わず首を絞めたくなるが、そのくらい気軽にお越しいただいた方がこちらとしてもよい。
前にも書いたと思うが、今回のコンサートについて個人的に思うことはひとつ、「キース・ジャレットの音楽を通じて3人のクラシック・ギタリストになにが見えるか・・・をやる」ということ。
ジャズをやることは出来ないし、やることにもおもしろさがない。それであればこの企画自体をジャズメンに投げた方がよい。キースをテーマにきっとみなさんそれぞれやりたいことをやるだろう。我々アウェイのクラシック・ギタリストにとっては、やれることが少ないテーマかもしれないが、その”少ないこと”をどれくらいたのしんでやれる方向にもってゆくか、がポイントだと思っている。
キースについて、あるいは今回の企画について現時点で気になっている点は3点。
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*制約と自由
ジャズメンの多くが時折口にする、あるいは内心思っている「クラシックは制約が多い」「ジャズのほうが自由」という言葉。果たしてそうだろうか?これはやはりプレイヤーによるのではなかろうか。自由というものの取り扱いはそう簡単ではない。これまでジャズメンが自由の取り扱いに四苦八苦している姿も嫌というほど見てきた。大切なのはその瞬間瞬間がスリリングで活き活きとしてておもしろいかどうかではなかろうか。
「自分ではないところにいつも行ける、これが俳優という仕事」
「台本をもらっていろんな言葉を覚えて、いろんな人とぶつかりあって火花を散らして物を言う、笑い合う 慰め合う けんかをする、愛し合う。こんな素晴らしい生き方は俳優じゃないとできない、それを何十年もやらしていただいてる、こんな幸せな生き物はいない」 <里見浩太朗>
台本=楽譜、俳優=クラシックミュージシャン
と上記の言葉を置き換えてみると、まさに我々クラシックの世界に当てはまる話ではないか。
《台本の有無=自由の有無》
と、そう簡単に言い切れるものか?
そして、しあわせであることは自由であること以上に大切かもしれない、と思ったりもする。
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*キースの覚醒
キースは演奏中、時折覚醒状態にあるらしい。
そして演奏中は常にその状態にあることを目指している。
「キースの言う覚醒とはどういった状態なのか?」「音の感じ方がどうかわるのか?」「その状態は自分にも可能なのか?」
以上の興味からいろいろと調べてみた。
“覚醒”というものは、巷のアニメやCMなどでよく使われるような「悟りのような」ものではなく、「人格的に優れているか」といったこともどうやら全く関係なさそうである。
覚醒状態の表現として割と共通しているのは、「それまで遠くに見えていたものがいきなり近くにボーン!」「脳の自動思考が止まってシンとする」「この状態に居続けようと意識した途端に消えてしまう」「宇宙というひとつの大きな生命体があり自分はその一部分にすぎないという感覚」
ワンネス体験、右脳回帰という言い方もあるらしい。
キースは言う。
「自分を覚醒した状態にするためのひとつの方法は、スポテニアスになること。」
「即興演奏というのは、確実に覚醒した状態にいるための唯一の手段だ。自分の指が弾いている音を聞いている。最初はたぶん機械のようにね。そう、それから音楽が聞こえてくる。」
「ぼくの音楽を聴いている人々も、彼ら本人は気がついていないかもしれないけれど、音楽自体が覚醒しているから好きなんだ。でも弾いている本人が覚醒しているのは嫌がられるんだなあ。それでぼくはよく問題を引き起こすわけよ (笑) 。」
~ キース・ジャレット音楽のすべてを語る (立東社)より
生きてる間に経験してみたい《覚醒》。
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*『1975年のケルン・コンサート』
4月10日公開の映画『1975年のケルン・コンサート』。
キースではなく、そのコンサートを主催した18歳の女性を主軸にした
「青春映画で、音楽映画で、お仕事映画。そして無敵のガール・エンパワーメント・ムービー!」
とチラシにはある。
そもそもキース・ジャレットのソロ・コンサートにおける即興とは、演者自身が「これから自分がなにを弾くのかさえも知らない状態で何千人の前に出て行く」という、他のジャズミュージシャンと較べても特殊且つ異質なものなのである。その半端ではないリスクを背負ったミュージシャンの矜持を、ステージに立たないひとに理解しろというのがどだい無理な話ではある。
ケルンの時は、手違いによりキースの希望していたのと違うピアノが現場に届いた。これがキース・ジャレットという覚醒ミュージシャンにとってどれだけ大きな問題か、うん、やはり理解しろというのがどだい無理な話ではある。それはわかる。
そういった諸々の不備やトラブルにより、キースにとってはトラウマとなった1975年のケルン・コンサート。だがその渦中で覚醒し、名演奏を残したのはあくまでキース本人であり、その苦悩をエンターテインメントというかたちで気楽に打ち出したこのたびの映画製作に対し、キース本人も、ライブ音源に必死で化粧を施し名盤として世に出したマンフレッド・アイヒャーも一切の協力を拒絶している。
以上のこともあり、この映画を鑑賞することなく4月19日に臨む所存である (笑) 。
2026.3.25.