”感謝”ってなんだ?
20代の前半、わからなくて真剣に悩んだ時期がある。
自分がよそ様から受けた恩恵に対して「ありがとう」を感じ、且つその気持ちを相手に表明することであろうが、当時の私がわからなかったのはその量についてである。それには果たして適正な量などというものがあるのだろうか?比較的恵まれた環境で不自由なく育ってきた私が感じている感謝というものは、どうも世間の基準値に満たないのではないか・・・?
要は《自分の感じ方》というものが信じれなかった時期ともいえるし、《世間の感じ方》という絶対的基準の存在を否定できなかった時期でもある。自分は世間知らずの未熟者だという前提で周りを見ていた。そこはいまだに変わらないが、多様な世界を受け入れることが出来ている現在、気持ちは当時より幾分ラクではある。
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記憶があいまいだが おそらく30代の頃だったと思う。高校時代の恩師から、高文連(高体連の文化版)の審査を依頼された。全国から応募してきた高校部活動団体にマンドリン合奏がいくつか入っているので撥弦楽器奏者としての視点で講評をお願いしたい、順位を付けたりというのは無い、という内容だったので引き受けた。
ところがふたを開けてみるとこれが大変な作業だった。全国から参加してきた団体は40~50団体あり、ある指揮者の先生と私、二人でそのすべてにコメントをつける、というものだったのだ。私は当時まだ若く体力もあったが、その指揮者先生はおそらく70を優に超えた年齢で、その日はふたり肩を並べて、肩で息をしながら、すべての団体を鑑賞し講評を終えた。すべてが終わった後、思わず「よくやった、わたしたち!」と固く握手するほどの重労働だった。
だがその日のことで一番私の記憶に残っているのは、楽屋で休憩時間中に交わした以下の会話である。
「松下さんはギターを弾いてあるんですね?」
「そうです」
「若い頃、私がやっていた弦楽カルテットとギタリストの O氏で、M.C.テデスコのギター五重奏を共演したことがあるんです」
ちなみにO氏は戦時中から戦後にかけて日本ギター界を牽引した巨匠。
「ギターの入りの部分で何回やっても入れないので、仕方なく私が小声で『さん、はい』言うようにしたんですが、『さん、はい』言っても彼は入れないで・・・」
「じゃ、先生はギタリストに対してあまりいい印象をお持ちでないですね」
「うん・・・」
「当時はもうおひとり、巨匠でAさんがいたと思うのですが」
するとおじいちゃんは、遠い目をしながらつぶやいた。
「ああ・・・Aさん・・・・Aさんもひどかった・・・」
後日この話を当時の相棒だったヴァイオリニストにすると、彼は一言
「ああ、あのおじいちゃん先生ですね。ラジオ体操みたいな指揮をする・・・」
あ、あんたも言われとるがな! じいちゃん・・・
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こういった逸話を時がたって思い返すにつけ、明治以降の日本が歩んできた西洋文化受容の歴史を生々しく感じる。日本におけるクラシックギタリストの《音楽家としてのクオリティ向上》はヨーロッパにおけるそれとは違う時間の流れで、ある時期までは進んできたと思う。それぞれの時代に精一杯やったひとたちの作った土壌の上に、こんどは次の世代が芽吹いてゆく。そしてそれらがまた土壌を作り・・・
仮に今30代のギタリストの中からひとり選び、タイムマシーンに乗せて戦後すぐのギター界に送り込んだとしたら、一大センセーションを巻き起こすかもしれないし、<日本ギター界の神>と呼ばれるかもしれない。もしくは総袋叩きの憂き目をみるかもしれない。
あるいはそのひとに現在の実力を放棄させ、当時の環境で壱からギターを始めさせたら O氏や A氏のごとく活躍できる存在に果たしてなるだろうか?私にはそれは限りなく困難なことに思える。
以上のことを考えたとき、私はその時代にそこまでのことを成し遂げた、という意味で、O氏のことも A氏のことも、尊敬できるし感謝の念も感じる。ただ一方で、先に生まれたひとが後の世代の土壌になるのは必然であり結果であるので、自分より若い世代に「わたしたちの頑張りのおかげで今の君らは恵まれた環境にいるのだから感謝しろ」というのも筋違いというもの。
感謝は強制できない。個々の内側からわいてくる感情なのだから。
それぞれの世代で精一杯やることが、結果として いい土壌づくりにつながる。
2024.12.18.