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ギタリストの周辺(1)

 

思いつくまま書いていきたいが、まず手始めに何の話から始めようか。

 

戦後の昭和時代、《ポップス・オーケストラ》なるジャンルが一世を風靡した時期がある。私は昭和46年2月の生まれだが、ちょうど我々の親世代にあたるぐらいの人達が愛聴していた。うちの母親のLPレコード棚の中にはそのたぐいのものが3~4枚あったが、要するに巷でよく知られたメロディーをオーケストラ・アレンジで演奏したものである。非常に雑多かつ節操のない選曲で、オーケストラのゴージャスなサウンドを味わいつつ、様々な音楽に分け隔てなく触れるにはなかなかよかった。

北九州在住のギタリスト池田慎司さんは、私とほぼ同世代だが、彼も同じような体験をしている。幼い頃の彼にとって「モーツァルトの交響曲40番」は、疑う余地が寸分も無く”ポール・モーリア”だった、というのだ(※これはおそらく彼の記憶違いで、実際は”レーモン・ルフェーブル”のヴァージョンだと筆者は勝手に推測する)。

 

わたしの母は、息子が勝手に自分のレコード・コレクションをいじるのを固く禁じていた。その中で特にわたしのお気に入りだった”フランク・プゥルセル・オーケストラ”のLPをかけるにあたって、わたしは毎回、母の承諾を得なければならなかった。「アドロ」「コンドルは飛んで行く」「やさしく歌って」「イエスタデイ・ワンス・モア」「雨」「ラスト・ワルツ」「パピヨンのテーマ」・・・極上のメロディーが贅沢なオーケストラ・サウンドによってドラマティックに展開してゆく様を、幼い私は夢中で聴いた。今でも大好きなアルバムだが、その全20曲の中に「わが心のアランフェス」が入っていた。

そう、実はわたしの初めてのアランフェス(第二楽章)体験は、フランク・プゥルセル・グランド・オーケストラなのである。亡父が独身時代に買ったLP、トゥリビオ・サントスのアランフェスも、そのレコード棚には入っていたのだが、そちらの演奏はまるで記憶にない。F.プゥルセルのアランフェスは勿論簡略化された3分ほどの短いアレンジだが、メロディーをとるソロ楽器は、ギターではなくなんとシタールであり、わけのわからない圧倒的な異国情緒を醸し出していた。

「アランフェス」にしろ「交響曲40番」にしろ「新世界」にしろ、その基となっているものはクラシック音楽であるのは間違いない。だが F.プゥルセル、R.ルフェーブル、P.モーリア、C.キャバレロ・・・これらによって演奏される《クラシック由来のメロディー音楽》を私はクラシック音楽とは呼べない。それらは極上のポップスではあるし、それが「クラシックより低いものだ」などとは全然思わないのだが、ともかくクラシック音楽ではない。

あくまで私の持論だが、クラシック音楽かそうでないかは、メロディーで決まるものではなく、その演奏の仕方で決まるのだ。

(つづく)

 

2024.06.19.

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“ギタリストの周辺(1)” への2件のフィードバック

  1. tomoko.y より:

    松下様、
    更新された記事、拝見しております。
    早々にありがとうございます。
    こちらもまた 全然急ぐ話ではありませんので、今後ものんびりと、のぞかせていただきたいと思います。

    ポップス・オーケストラ… なるほどですね…
    はい、確かに 私もこれまでポップス・オーケストラによる演奏を〈クラシック音楽〉として、無意識ですが、聞いていたことはなかった様に思います。
    改めて自分でもそれは何故だろう?… と思います。
    私は西暦で80年代生まれの人間ですが、ポップス・オーケストラはやはり子どもの時分から耳にしています。
    大人の今なら、確かに”ゴージャス!“ね、“うんうん”と思いますが、当時は子どもなりに ”甘〜い“なぁ〜 と少し受け止めきれない様な、ちょっと恥ずかしいよう響きに聞こえた気がします。不思議ですね。
    メロディーは聞きやすいけれども、ちょっと苦手ではありました。(ここは個人の嗜好の問題でしょうけれども)

    こういう視点から考える方法も、なるほど、あるのですね。

    引き続き、どうぞゆっくりでお願いいたします。

    • 松下隆二 より:

      tomoko.y さま
       
      はい、今回貴重な御題をありがとうございます。
      こちらは書きたいときに勝手に書いてますので
      コメントもお急ぎにならないで結構ですよ(笑)。

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