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M.M.ポンセ雑感

 

先日のソロ・コンサートの折 MCのなかで

「自分にとっての”クラシックギター”とは、マヌエル・ポンセ」

などと つい口走ってしまった。

それはとても個人的な感覚であるので 補足が必要かなと思った次第である。

かといってその発言の根拠を言語化するのもむずかしい。

取り敢えずは まとまらないまま 思いつくままに書いてみたい。(話をまとめてしまうこと自体が 最近好きではないし、、、) 

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M.M.ポンセは ご存じのように セゴヴィアを中心としたギタールネッサンス(と勝手に言ってみる)に 大きく貢献した作曲家のひとりであるが 特筆すべきは ギター作品の多さ、それらのクオリティとセゴヴィアからの愛され度である。なにしろセゴヴィア先生の録音が 他の作曲家の作品より圧倒的に多い。

作曲家の《音符と自分との距離の取り方》にはそれぞれ個性がある気がする。例えば A.タンスマン作品を弾いていて感じるのは 曲に対するタンスマン自身の視点が 少し遠くにあること。ヨーロッパの歴史の歩みを少しだけ離れたところから眺めているかのようなクールさ、というか公(おおやけ)感というか、、、わっかるかなあ、わかんねだろうなあ(しゃばだばだー♪)。

M.C.テデスコ作品からは管弦楽の香りが漂ってくる。F.M.トローバ作品からは まさにスペインの風景、風俗、小粋で洒脱な感じ。J.トゥリーナの場合あそこまで近代フランス音楽の香りがするのは やはりスコラ・カントルムの影響が大きい。異論は多々あると思うが 同じスペイン人でもトローバと比べれば トゥリーナ作品と J.ロドリーゴ作品は どれだけスペインの素材を使っていようが 私のなかではフランス音楽に聞こえる。

M.M.ポンセ作品の場合はどうだろう。彼の作品を弾いていて感じるのは 彼自身が音符に非常に近いところに居る ということだ。漠然とした言い方で申し訳ない。これは別に作曲家としてのポンセが タンスマンより優れているなどと言っているのではない。気質の違いについての話である。

メキシコの作曲家だが 正直言ってポンセの作品は 国籍をそこまで感じさせない。フランス近代和声を使ったり メキシコ民謡をアレンジしたり スペインを素材にしたり バロック・スタイルで書いたりしたが 基本として常にあるのは 気品溢れる彼特有の濃厚なロマンチシズムである。

1900年代に入り 新しい世紀に酔いしれる中で 西欧は急速に《ものを生み出す力》を失っていった。オリエンタリズムに頼るようになり 西欧諸国以外の国や西の端であるスペインなどは 作品の中でつぎつぎと民族主義を打ち出し始めた。ポンセも表面的にはその流れに乗ったが バロックやシューベルトやショパンなど 西欧の古典を愛する気持ちがより強かったのだろう。

時代の流れを否定したりせず興味をもって乗るが 一方で自分が好きなものに対し正直でいる彼の姿勢は おなじような柔軟性を持ち合わせてないと 共感するところが少ないかもしれない。加えてプロがコンサートで選曲する際にも ”スペイン”、”ラテン・アメリカ”などというコンセプトのなかで アルベニス、ヴィラ‐ロボスなどより存在意義が薄くなりがちである。

だが私にとっては 20代前半から愛奏し続けてきた大切な作曲家であり クラシック・ギターの世界から外れよう、飛び出そうとするたびに いつでも帰りを待っていてくれる故郷のような存在として ポンセ作品は常にある。

以下は大雑把な感覚であり全てではないが、、、

タレガ作品を弾いているとき「クラシック・ギターと向き合っている」とは感じない。それは私にとって「タレガと向き合う」時間。タンスマン作品は「ヨーロッパと向き合っている自分」を感じる時間。テデスコ作品は「ギターのなかで展開する管弦楽」を感じる時間。ポンセ作品は「まだクラシックギターを弾き続けている自分」を感じる時間。

これだ、、、。

 

2023.1.16.

 

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“M.M.ポンセ雑感” への6件のフィードバック

  1. 松岡 茂樹 より:

    私にとってもポンセは特別な作曲家で、ソナタたち、フォリア、組曲イ短調、それぞれに惹かれ、弾いていて喜びを感じます。
    なかでも一番好きなのは「主題、変奏と終曲」ですが、勝手に何かうまが合う気がしています。
    ヴィラ=ロボスもそうですが、ギターという楽器の特性を凄くわかってらした作曲家だと思います。

    • 松下隆二 より:

      松岡 茂樹さま
       
      はじめまして。とてもうれしいコメント戴きありがとうございます。
       
      私事ですが、ポンセの曲で最初に好きになった曲が『主題、変奏と終曲』二十歳の時でした。
      コンクールやマスタークラス、リサイタル、レッスンのたびにこの曲にお世話になりましたが、この一曲で今覚えているだけでも故J.L.ゴンサレス、D.ラッセル、福田進一、故A.ポンセ、藤井敬吾、伊藤博志、L.ブローウェル、R.スミッツ、J.クレルチ、R.ゲーラ、鎌田慶昭、P.マルケス、鈴木大介、故坂本一比古各氏からレッスンを受けました。皆様違うことをおっしゃるのに加え、皆様スジが通っているので、積み重ねるごとにわけわからなくなり、M.M.ポンセのオリジナル譜が出版された時には自分の中での混乱が頂点に達しました(笑)。それからしばらく弾くのをやめて離れていた時期があり、その後セゴヴィア版に戻った感じです。
      ギターを使って”音楽標準語”をしゃべろうとするよりも、”ギター弁”満載のセゴヴィア版のほうが、自分としてはギターを弾く喜びが感じることが出来、好みではあります。

      • 松岡茂樹 より:

        あまりたくさんの方に習われると、仰れるように自分の中で消化しきるの大変そうですね。みなさん、ご自身なりのロジックで納得できるのですが、それらを統合するのは一苦労な気がします。

        「主題、変奏と終曲」、私もセゴヴィア編が好きです。原典版というか、新たな変奏がいっぱい出てきたときは、「うーん、い、ないや」と思いました。高田元太郎先生にレッスン受けて書き込みをいっぱいした譜面は、今でも時々見返して弾いたりしています。

        • 松下隆二 より:

          松岡 茂樹さま

          そうなんです。「いろんなかたの素晴らしい見解をモンタージュするだけでは、すじの通ったものにはならない」ということを、この一曲を通じて学びました。
          高田先生にレッスンを受けられたのですね。(もちろん御名前は一方的に存じ上げてますが)すばらしい先生だと伺っています。

          • 松岡茂樹 より:

            高田先生に習っていたのは20年以上前の現代ギター学院で、アルトフィールドになってからは、たまにワンレッスンで見てもらいました。カルレバーロ奏法の本、復刻したら買いたいです。
            鎌田さんは、学生時代、サークルの後輩が習っていたので新人演奏会でゲスト演奏とかしていただきました。リブラ・ソナチネとか上手かったですね(これは30年以上前、歳がばれますね)

          • 松下隆二 より:

            あ、そうなんですね!
            鎌田先生には、地元で同門だった子が早稲田に進学し鎌田先生に習っていたご縁もあって、ある時期みて頂きました。九州ツアーの合間にもレッスンを受けさせて頂いたり、大変勉強になりました。
            ちなみにその同門の子はプロにはなりませんでしたが、ある時「大学のギターサークルの先輩ですごい人がいる」と言って福岡に連れてきたのが、留学前の鈴木大介さん(その時が初対面)でした。やはり30年以上前の話です(笑)。

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