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”ひびき”について思ういくつかのこと(その1)

 
2002年の12月、私はブラジルのリオ・デ・ジャネイロに向かっていた。
音楽評論家の濱田滋郎先生が書いてくださった紹介状を片手に、ヴィラ-ロボス記念館を
訪れるのが、その旅の一番の目的だった。
トランジットは一回で済むはずだったのに、大雪のシカゴ空港で5~6時間の足止めをくらった
挙げ句、急遽マイアミで一泊するよう航空カウンターで告げられた。今思い返すと、言葉の
不自由な異国の地で予期せぬ事態に遭えば、小心の私としては大いに動揺するはずなのだが
この時は何故か落ち着いていた。というか、事態そのものを楽しむ余裕があった。
なにしろ一日かけて北から南に、地球をタテに移動するのは生まれて初めてのことだ。どうせ
ならじっくり味わいたい、、、。
 
 
マイアミに到着し空港に降り立つと、シカゴとは打って変わって、なまあたたかい空気が
私を包みこんだ。赤道に近づいたのだから当然だ。航空会社が用意したホテルにチェックインし
翌日リオ行きの飛行機に無事乗ることが出来た。リオの気温はどうも現在40度らしい。
ははは、、、
ところが次に私を襲った事態は、とても笑って楽しめるものではなかった。
 
 
目的地のリオに着陸するために飛行機が高度を下げ始めたと同時に、アタマの中を猛烈な痛みが
おそってきた。まさに割れんばかりのすさまじいやつ。両手こぶしを握り締め、着陸までの
30分間、あぶら汗をたらたらと流してひたすら耐えるしかなかった。
こんなのは初めての経験だった。
 
 
それから約半年後、わたしは脳腫瘍切除の為、福岡市内の病院に一ヶ月間入院することに
なった。病名は”聴神経腫瘍”。
腫瘍が左の聴神経にかかるほど脳内で大きく育っており、手術は頭を切って聴神経ごと腫瘍を
取り出さねばならない13時間にわたるものだった(もっとも私は全身麻酔でただ寝てるだけ
だったが、、、)。
 
 
よって術後から現在に至るまで私の左耳はつんぼである。術時に顔面神経を削ったため、
顔の左側は麻痺したままであり、左耳には耳鳴りだけが残っている(耳鳴りと聴神経の有無は
関係ないらしい)。
共演者には常に自分の右側に居てもらわねばならず、他人と並んで歩くときもそのひとの左へ
左へと回り込まねばならない。まるで柔道かボクシングのごとき感覚である。事情を知らない
ひとには「こいつ、なんでこっち側にばっかりきたがるねん?」と思われてるかもしれない。
 
 
片耳になって気付いたことがある。
《響きによって空間の広さを感じたりすること》ができなくなった。
つまりは音の立体感を感じるのは両耳あってこそなのだ。
具体的な話としては、本番前のコンサートホールのなかで目を閉じて両掌を打ってみるとよい。
その響きによって”空間的な広さ”や”音のひろがり”を感じとることができるはずだ。
片耳だとそれがない。音はただ”情報”としてべたっと脳に入ってくるだけだ。音は聞こえても
響きを感じることはない。
 
 
つまり術後以来17年間、現場での音響問題に対処する場合は、それまでの両耳人生での経験を
基にした”勘”で動くしかないのがわたしの実情である。
ただ今回のブログでとりあげたいのは、そんなつまらない話ではない(ひとによってはさらに
つまらないかもしれないが、、、)。
”ひびき”というものに関して、ときおり仕事現場で耳にする《伝説》の中で、長年に渡り
「ほんとかよ?」と私個人が疑いつづけているものを、次回三つほどとりあげるので、こころに
曇りのない頭のよい誠実な人にぜひ検証してもらいたいのである。
検証の結果として「あんたのいってることはトンチンカンだよ!」というお言葉が返ってきても
より確かな答えを得られるのなら、それで一向にかまわない。
 
それではまた次号!
 
(つづく)
 
2020.10.10.
 

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