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憎んじゃいけないろくでなし

 
連載中の《”質問”とは?(その3)》を書いてる途中だが、それを後回しにして、個人的に
今どうしても言いたいことがある。
沢田研二氏のドタキャン騒動についてである。
 
 
全国ツアーのさいたまスーパーアリーナ公演を開催直前に中止した件で、すさまじい非難を
浴びている氏だが、沢田氏側の言葉を拾い集めてみると、、、
「9000人入ると聞いていた観客が実際には7000人だった」
「”客席の一部がつぶされていた”ことなどから、自ら中止を決断した」
「契約上の問題が発生した為、急遽中止させていただくこととなりました(沢田研二オフィ
シャルサイトより)」
ということらしい。
 
 
ジュリーと私では規模も額も圧倒的(天文学的)に桁違いではあるという前提で、プロ
ミュージシャンとしての《契約上の問題》という観点から、この度の件を考えてみる。
例えば私がある主催者からギャラ5万円の仕事を依頼されたとする。依頼を引き受けその日の
演奏の為に準備を重ねベストを尽くす日々、、、。
そしてコンサート直前になって主催者から「お客さんが集まらなかったのでやっぱり今回3万円
でお願いします」との連絡、、、(な、生々しい)。
 
 
べつな例。
仮に果物屋さんの店先に一個200円のりんごが置いてあるとする。
それを買いに来た人が、自分の財布を見たら170円しか入ってなかった。
客「170円しかないのでこれでお願いしますよ」
果物屋「え?でもこれは200円で売っている商品です」
客「では170円分だけ切り取って売ればいいじゃないですか」「このリンゴを食べたいファン
の気持ちを考えないのですか?」
果物屋「、、、、」
 
 
はじめから7000人という契約であれば、沢田氏も事務所も仕事としてやっていたに違いない。
「アーティストのイメージの問題もあるので、こちらが契約を反故にしても多分嫌とは言えない
はずだ」というプロモーター(興行主、主催者)側の思惑に、従来アーティスト側は泣き寝入り
するしかなかったはずだし、それが通例化していたところに沢田氏は今回”ノー”を突きつけた。
音楽産業界の不健全さとアンバランスな力関係に異議を唱えたカタチだと推察する。
 
 
ここまで叩かれるのは沢田氏も事務所も勿論覚悟の上である。
オフィシャル・ホームページ上の毅然とした一文、
「契約上の問題が発生した為、急遽中止させていただくこととなりました」
これ以上の申し開きも必要ないし、付け足すこともないという潔い態度に、むしろ私は感銘を
受ける。
 
 
「7000人のファンのことはどうでもいいのか?」
「歳をとるとアーティストは頑固で勝手気ままになる!」
「プロのとる行動じゃない!」
 
むしろ沢田氏のファンではない人たちの方がネット上で騒ぎ立てる。
 
 
本人の発言とは裏腹に、今回の件の内実は「お客の数に沢田氏が不満を持った」という幼稚な
ものではなく、すでに述べてきたように単なる契約上の問題が発生しただけである。プロ
モーター側の契約不履行の責任であるにもかかわらず、プロモーター側の”アーティスト・
イメージ”に対するフォローが無いのが、その力関係、敬意の欠如を物語ってはいまいか。
 
 
エンターテインメントや芸術、芸能活動は、皆さんにとっては”ただの楽しみ”かもしれないが、
それにたずさわる人間にとっては皆さんが会社で仕事をするのと同じ”仕事”だという感覚であり
意識である。なのに無償のサービス精神、もしくはボランティア精神を強要されることがある。
 
 
が、サービスするかどうかは本人たちの選択であり、他から強制されるものではない。
 
 
2018.10.19.
 
 

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“憎んじゃいけないろくでなし” への3件のフィードバック

  1. vega より:

    今回の話、ファンの方々とそれ以外の方々が彼に求めているのはアーティストとしての姿なのか、それともエンターテイメントなのか。そもそも両者の違いって何なのだろうかという問いに行き着きました。後者の方がよりボランティア精神を要求されてしまうイメージがありますが…。

    • ryuji より:

      vegaさま
      コメント頂戴し有難うございます!
      作曲家の三輪眞弘氏が2011年東北の震災直後の対談の中で以下のように述べてらっしゃいました。
      「芸術とエンターテインメントのあいだに違いがあるとすれば、エンターテインメントはやっぱりいま生きている、目の前にいる人にたいして基本的にはやるものなんですよね。芸術というものにはやっぱり、死者、そして未来の、まだ見えない人のことが計算に入っているというか、視野に入っているか、そこの違いなんだと最近思うんです。」~『アルテスVol.1』
      私も同感です。
      そういう意味では”アーティスト”という呼称は、世間的にかなり混同して使われているとは思います。いずれにせよ「私はアーティスト」と自分で定義する人を私は信用しないことにしていますが、、、(笑)。
      肝心かつ忘れられがちなのは、彼ら彼女らがやっていることも、結局は皆様がされてある会社勤めなどのお仕事となんら変わりはないビジネスに過ぎない、ということでしょう。今回の件も究極の話、人命に関わらなければ問題ないことのはずです。
      ひとつ例を出します。
      ある人がレストランに入り、「自分は今お金を持っていないが、とにかく腹が減っている。今すぐなにか食べさせてくれ。」
      従業員がおそらくそのひとの人命に関わることだと判断したら、無償でなにかふるまうこともあるかもしれない。
      だがそのひとが当分死ぬには至らないだろうと判断した時には、なにもふるまわずお引き取り願うかもしれない。
      人命に関わらない範囲ではビジネスが優先になるはずです(その良し悪しについてここで論じることはしません)。
      つまり何が言いたいかというと、「サービス精神やボランティアを要求されてそれにこたえるか否かは本人が決めることであって、周りがとやかく言えることではない」ということです。それがわかってない人がネット上では異常に多すぎる気がします。
      ちなみに沢田氏自身が”アーティスト”か”エンターテイナー”なのか?
      これも周りで決められることではない気がします。
      ご本人の生き方ですから。
      個人的にはそのどちらでもなく、内田裕也氏の励ましの言葉”ロックンロール!”が、一見意味がないように見えて、じつはジュリーというひとの本質を一番言い当てているように感じますが、、、(笑)。
       

      • vega より:

        ありがとうございます。
        三輪眞弘氏が、今この世にいない何かにまで言及されておられる点、こちらも新たな視座が得られた気がします。
        著名人が本人の意向に関わらず、ネット民を含め社会にいる一人ひとりの理想像や思い入れを一方的に投影され押し付けられる存在でもある事を思うと、「沢田氏はアーティストかエンターテイナーか」よりも “ロックンロール!” の方が腑に落ちました (笑)。

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