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客席で気付いたふたつのこと

 
先月のことだ。あるミュージシャン仲間のコンサートに、客として足を運んだ。
スタッフとも全員顔見知りであり、いつもはミュージシャンとして関わっているので、
「純粋な客」として受付を通るのが何とも気恥ずかしい、というか照れくさい。
 
会場は200席くらいの多目的ホールだが、歌手が入らない器楽のみの編成ということもあって
照明や音響も終始大人の雰囲気でしっとりとまとめていた。
 
 
わたしはホールのコンサートに行くと、大体左側の一番後ろの隅に座ることが多い。
左側に寄るのは右耳で聴くため(私は左の耳が聞こえない)だが、一番後ろに座るのは別に
いじけてるわけではなく、客席全体の雰囲気や反応を感じたいが為である。
 
 
ところが過去幾度か出演したことのあるホールで、しかもその時舞台を共にした仲間のコン
サートである。よって開演10分前や5分前の舞台裏や舞台袖の状況がアリアリと想像できて
しまうのだ。
う~ん、なんかこれってヘンな感触だなあ、、、どうも落ち着かない。客席に居ながらまるで
これから出演する気分、、、(笑)純粋な客になりきるのは結構難しいもんだなあ、、。
 
 
とにかくその後コンサートは始まり、そして無事に終わったのだが、開演前から客席で感じて
いたヘンな感覚は、コンサートが終わるまで結局、私の中から抜けることはなかった。
『ヘンな感覚』とは、すなわちその日、私は客席に居ながらにして舞台上で仲間と共に演奏し、
仲間と共に控室にも居たという感覚のことである。もちろん現実の私は、その日舞台にも上がら
なければ、控室にも行っていないのだが。
 
 
いやあ、何とも言えない不思議な体験でした。もともと霊感は弱い方だし(高校生の頃よく
貧血で全校集会の最中倒れてたりはしたのだが、、、それは関係ないよね)、まさか自分に
「幽体離脱能力」があるとは思ってもみなかったわ、、、。
 
 
それはさておき、その日私が客席で気付いたふたつのことをお話したい。
 
ひとつは客の反応ということについて。
 
その日200人のお客さんが聞いていたとして、その演奏やコンサートそのものに対する
《受け取り方》は、200通りひとそれぞれあろうが、演奏や曲間のMCを聴いている最中の
お客さんの《集中力》というものは、わりと客席一体となって動いている、ということ。
客個人の専門的知識や音楽経験の差など関係なく、みんな客席一丸となって集中し、またある
ときは、客席まとめて集中が途切れたり意識が散漫になったりする。
つまり何が言いたいかというと、音楽を日頃専門的にやっていようが、その日無理やり客席に
連れてこられたサラリーマンだろうが、ことパフォーマンスに対する集中という点では、あまり
違わないということに気付いたのである。
(あくまで例だが)私の斜め前に座っているおっさんがあくびをしている時は、やはり私も
あくびをしたい気分だし、私の3列前にすわっているおばさんが身を乗り出して聞いている時は
私もやはりそんな気分なのである。
《集中力の線》は客席一丸となってある瞬間は太く、ある瞬間は細くなりながら共有されている
ものなのかもしれない。
 
 
もうひとつ気付いたことは、「舞台上に居る演奏家」というのは強く奏するときは『積極的に
強く』、弱く奏する時は『積極的に弱く』弾くことが大切なことだということ。
いずれにせよ積極的でないと舞台上では成立しない。
【消極的に】強く弾いたり、【なんとなく】弱めに弾いたりした音は、表現として成立しない。
 
 
この日の演奏は最大5人だったが、フロントマンである旋律楽器奏者はその辺が見事だった。
私も見習うべきだ、、、ということで印象に残ったのである。
なんせアンサンブルにおける私の得意技は「”寄らば大樹の陰”奏法」「”コバンザメ”奏法」
「”長い物には巻かれろ”奏法」の三つでして、、、(苦笑)。
 
 
2016.11.25.
 

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“客席で気付いたふたつのこと” への4件のフィードバック

  1. T.Yoshimoto より:

    f,ffは放っといても積極的になる、問題はp,mpをいかに積極的に演奏するか!   声楽でよく言われます、特にpp,p,mpは単に弱くじゃなくて緊張感を持って響きを維持して歌うこと!  しかしギターで弱音は素人には難しすぎる! 単に弱く引くだけ! 単に弱く弾く事と積極的にひく事の違いがわかるまで多分20年はかかるかな

    • ryuji より:

      Yoshimotoさま
      いつもコメントいただき有難うございます。
      「f,ffは放っといても積極的になる」なるほど、、、身体が楽器そのものである声楽や合唱の世界はおそらくそうなのかもしれませんね。
      器楽の場合、たとえフォルテを出していても「漫然と出したフォルテ」だった場合には、それは楽音とはならず【ただの邪魔な音】になることがあります。強かろうが弱かろうが精神を注入する(あるいは意識的に注入しないという選択が必要な場合もあります)。
      その辺が難しくもあり、楽しくもあり、、、。

      • T.Yoshimoto より:

        精神注入ですか!  エモーショナルなものを感じながら弾いたとしてもそれを表現する技術が伴わないと結局同じ音にしか聞こえないのではないかと最近思います。 先生のような透明感があって前に飛んでいく音が少しでも出るようになるにはウン10年掛かりそうです☺️  指が弦に接する時の強弱、接する時間、角度などが影響しているのでしょうが深いです!!

        • ryuji より:

          そうですね。
          もちろん精神論だけでもうまくいかないし、、、かといって合理的な技術だけでも割り切れないところが、音楽の話のなかで最も謎めいて面白い部分だと私は思います。
          時間のかかるところではありますが、だからこそ楽しいですね。
          ひとそれぞれ『成立のさせ方』が違うという点も面白いです。

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