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ただの事実

 
いまから私が書くことは政治的見解でも主張でもなく、ただの事実である。
 
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中国(1946、1950~53)韓国・朝鮮(1950~53)グアテマラ(1954、1967~69)インドネシア(1958)キューバ(1959~60)ベルギー領コンゴ(1964)ペルー(1965)ラオス(1964~73)ベトナム(1961~73)カンボジア(1969~70)グレナダ(1983)リビア(1986)エルサルバドル(1980年代)ニカラグア(1980年代)パナマ(1989)イラク(1991~1999)ソマリア(1993)ボスニア(1995)スーダン(1998)ユーゴスラビア(1999)
 
第二次世界大戦後から1999年までの間にアメリカと戦争状態にはいった国、アメリカによって爆撃された国のリストである。
~アルンダディ・ロイ(インドの女性作家)による~
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1980年代のニカラグアは米国によって徹底的に破壊され何万という人々が死んだ。それに対しニカラグアは人間として考えうる限りのまっとうな手続きを踏んだ。すなわち「米国の攻撃についての非正当性及び被害の証拠」の数々を国際司法裁判所に提出し、法に訴えたのである。
判決はニカラグアに対し有利に出、裁判所は米国に対し国際条約侵犯のかどで有罪を宣告し「行動を中止し、相当な賠償金を支払う」ことを命じた。これにより米国は国際司法裁判所が国際的テロで有罪を宣告した唯一の国となった。しかし米国は判決を侮りとともに斥け、直ちに攻撃をエスカレートさせることで応じた。
窮したニカラグアは安全保障理事会に訴え、理事会は「全ての国家が国際法を遵守する」という決議を検討した。米国一国がそれに拒否権を発動した。
ニカラグアは国連総会に訴え、そこでも同様の決議を獲得したが、二年続けて米国とイスラエルの二国が反対した。
ニカラグアの望みはここで潰えた。
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上記のリストには入っていないが、1985年レーガン政府はレバノンの首都ベイルートで爆弾テロを仕掛けた。モスクの外に爆弾トラックを置き、最大の死者が出るようタイミングを計り、礼拝を終えて一斉に帰る人々を狙って爆発させた。死者80名、負傷者250名、その大半が女性と子供だったと、事件の三年後に『ワシントン・ポスト』が報じている。米国政府がその時狙っていたイスラム教の聖職者はこのとき難を逃れ無事であった。
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これも上記のリストからもれるが、1990年代クリントン政府はトルコ人が自国の南東部に住むクルド人を撲滅するのを支持し、武器の80%という決定的な支援を行い、何万人もの死者を出した。3500の町や村を破壊し(NATOの爆撃によるコソボの7倍)、200~300万人をその家からたたき出し、残虐行為のエスカレーションを手伝った。そのテロがほぼ目標を達成した1999年にやっともとのレベルに戻った。
(もともとクルド人はオスマン帝国勢力下でひとつの国に居住していたが、英国とフランスが自国の利益のために国境線を設定したため、トルコ、イラク、シリア、イランといった広範囲にわたって散らばることとなった。それぞれが分離独立を求め、居住地政府との間で武力闘争を展開している。)
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1998年8月クリントン政府はスーダンのアル-シーファ薬品工場を爆撃した。スーダンは国連に爆撃の正当性を調査するよう求めたが、米国政府によってそれらは阻止された。
「命を救う薬品の生産が途絶え、スーダンの死亡者の数が静かに上昇を続けている・・・・こうして何万人もの人々(その多くは子供である)がマラリア、結核、その他の治療可能な病気に罹り、薬がないために死んだ。アル-シーファは、人のために手の届く金額の薬を、そしてスーダンで得られる家畜用の薬のすべてを供給していた。スーダンの主要な薬品の90%を生産していた。」(ジョナサン・ベルケ「ボストン・グローブ」)
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レバノンとパレスチナの一般市民一万八千人を殺したイスラエルによる「レバノン侵攻」について。これが自衛のためでなかったことを、イスラエルはすぐに認めている。
「イスラエルが言う『テロリスト村』に対する凶悪な『鉄の拳』テロ。そしてその後、1993年と1996年に行われた侵攻を米国は二回とも支持した(1996年、カナの大虐殺に対する国際的反応にクリントンが尻込みするまで支持は続いた)。1982年以後のレバノンの犠牲者だけでも、おそらくもう二万人の市民が死んでいる。」(ノーム・チョムスキー「9.11」/文春文庫)
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最も人口が多いイスラム国家はインドネシアである。
1965年にスハルトが権力を握って以降、軍が先頭にたって大虐殺を行い数十万人を殺戮した。そのほとんどは土地を持たない貧農だった。このときの虐殺を助けたのが米国で、スハルトはクリントン政権が呼んだ「話のわかる奴」であり続け、20世紀後半の殺害、拷問、その他の虐殺の最も恐ろしい新記録を打ち立てた。
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以上これらはわたしの政治的見解でも主張でもなく、記録として残っている『ただの事実』を並べただけである。
これらの事実は、米国に絡んだたくさんの歴史の表面を引っ掻いたほんの一部分に過ぎないが、これまでこのように米国がおこなってきた諸外国における軍事活動に、今後日本も参加すると(一部の政治家の力により米国に向けて)意思表示されたのが、先の安保法案成立である。
ちなみに私は左翼ではない。そんな単純な話ではないがどうしてもそう思いたいかたは、別に思っていただいてもかまわない。こちらにはそれほどの教養があるわけではないので買いかぶりだとは思うが、、、。
ただシリア、スーダン、インドネシア、ニカラグア、レバノン、そしてアフガニスタン、、、その他多くの国で起こったことと同様のことがもしも目の前で起こったら、、、という想像力だけは『安保法案成立』を祝っている人よりも持ち合わせているつもりである。すなわち彼らは東京、大阪、あるいは福岡、つまり自分の目の前で、何十万、何百万といったひとたちの死骸がころがった光景の前で平気でいられるのだろうか?米国の軍事活動を支援するというのは、他の国のひとびとにそういった光景をあじあわせることだと過去の事例がはっきりと物語っている。
「他者の痛みを想像する力の欠如」がもっとも大きな問題でなかろうか。
 
 
2015.9.19.
 

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“ただの事実” への2件のフィードバック

  1. ボブ浅野 より:

    お元気ですか。時々ブログを拝読しています。
    今回のコメントに同じ思いを抱いています。
    “Show the FLAG” “Boots on the ground”の声が聞こえてきます。

    • ryuji より:

      ボブ浅野様
      お久しぶりです、ボブさん!!2013年ふくしま「世界の屋台」ステージでは素敵な時間をありがとうございました。
      わたしの独り言にコメントいただき心からうれしく思います。
      わたしも別にアメリカ国民が嫌いなわけではありません。コカコーラ、そして黒人文化の代表であるジャズは大好きです(友人のアルゼンチン人ギタリストはコカコーラを「インペリアルな飲み物だ!」と批判していたし、その言葉に納得もするのですが、好き嫌いとなるとまた別なことのようで、、、苦笑)。
      しかしアメリカ国民およびその友好国には報道されていない事実があまりに多過ぎます。さまざまな考え方のちがいはあれど「事実」として残るのは『亡くなった人の数、破壊され住めなくなった土地の数』です。
      その事実を根拠としてアメリカ政府は本国及びその友好国以外の国から『世界最大のテロ国家』とみなされています。
      戦争やテロを行うのは各国政府ですが、そのために亡くなるのは老人、女性、子供を含めた一般市民です、どこの国でも。
      長くなって申し訳ありません。またいつかどこかでお会いできますよう。

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