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編曲のすゝめ(その1)

 
ここ最近、編曲(アレンジ)ばかりしている気がする、、、。
 
おかげでレパートリーがずいぶんと貯まってきた。
一回きりでその後ひく機会の全くないものもあれば、何回もステージに上げたものもある。
もっと有効利用せねばもったいない、、、。
むかし作曲家の武満徹さんが「作曲家でなかったら何をされていましたか?」という質問に
こう答えたらしい。
 
「う~ん、、、そうさな~、、、、、、、、、、、つくだ煮屋かな~、、、、。」
 
“音楽もつくだ煮も一度作ってしまえば長持ちするから”というのがその理由らしい。
だけどあまり弾かないとやっぱりカビ生えそうです、先生、、、。
 
 
 
クラシック・ギタリストとして「編曲をすること」の利点はいくつかあるが、最も大きなものは
“出版されていないけど好きな曲”をコンサートのプログラムにのせることが出来る、ということ
である。
(私も含めて)大半のクラシックギタリストの場合、“楽譜”というカタチで音符が与えられて
いないと演奏ができないのである。かといって世に流布している出版譜だけに頼っていては
とりあげる曲が限られてくる、、、。
そこで編曲なのである。
 
 
「編曲をすること」もうひとつの利点は“自分の技術で演奏可能な音符を書いていける”という
ことである。他のギタリストが編曲したもので、自分にとって難しい技術を強いるものも多い。
(それに時々トライすることも自分の可能性を拡げる為に必要なのだが、、、。)
だが無茶をしなくても音楽として成立させる方法はいくらでもあるのだ。
編曲として最も削ぎ落とした究極のカタチはメロディーだけの「独唱」だろう。
それでも音楽表現として成立はするのだから、編曲に対して余り臆病にならず慎重になり
過ぎずドンドンやろう。
 
 
「編曲をすること」の利点その③は、編曲で音を扱う作業を通ったそののち他の人の作品を見た
時に、その作品に盛り込まれたアイディアが解かるようになるのである。
そして「アイディアが解かる」ということが演奏の有機性につながってゆくのである。
 
 
ソルにしろジュリアーニやタルレガ、ブローウェルにしろ、ギタリストの作品にはその人の
美学(得意な“指癖”等の人間味も含む)がしっかりと刻印されている。
そういった美学や音楽上のアイディアを理解した瞬間、国や時代を超えてその偉大な先人たちが
わたしにはまるで友達のように身近に感じられるのである。
 
(つづく)
 

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