アンサンブルによる演奏の方が聴き手にとって“楽曲そのもの”を意識しやすい。
ソロ演奏だと演奏家個人の“パーソナリティー”を味わう要素が強まる気がする。
よく言われることだが「人間」個人は不完全な生きもので、社会の人間関係の中で生かさ
れている。すなわちミュージシャンにとってアンサンブルはひとつの社会であり、演奏は
その人間関係の結果でしかない、とも言える。
図式的な言い方で勿論全てのケースに当てはまるわけではないが、“ソロ”は個人のパーソ
ナリティーを味わう音楽形態、“アンサンブル”は集団によるトランスを生み出す音楽形態
のような気がする。
どちらが良い、悪いという話ではなく、ただ違いを検討してそれぞれの持つ意義を確認し
たいだけである。
それぞれのマイナス面を挙げるとすれば、
ソロばかりやっていると、他との協調性や、「社会の中で生かされている」という認識が
薄くなってしまう危険性がある。
アンサンブルばかりやっていると音色、音の存在など個のクオリティーに対する感覚が雑
になってゆく。
ミュージシャンとしてはやはり両者のバランスが重要ではなかろうか。
「ソロ演奏」によって自分のクオリティーを見つめる人間が集まった「アンサンブル演
奏」はやはり強靭である。ソリストの覚悟を持った上でアンサンブルの場に出てゆく事が
良いアンサンブルの必須条件のような気がするのである。ただ依存しあうだけのぬるま湯
アンサンブルなんて聞けたもんじゃない、、、。
クラシックギターのソロ演奏も2タイプに分かれる。
すなわち一人で何人分もの事をこなす“近代テクノロジー・タイプ”のもの。
これはヨーロッパ的価値観といえるものかもしれない。
それはそれで価値が無いわけではないが、「一人でこんだけやれて凄いでショー」的な事
をやるくらいなら、私だったら人を集めてアンサンブルでやることによって、お客さんの
評価を“個人能力”から“楽曲そのもの”へと導きたい。
もうひとつのクラシックギターソロのタイプ(私はこっちの方に今後の可能性というか希
望を感じるのだが、、、)として“不完全ならではの素晴らしさ”を打ち出したものがある。
クラシックピアノ・ソロのような音の埋まり方はギターソロでは実現できない。
逆に考えるとギターソロの世界においては“不完全”を味わいとして楽しめる。
「完全体」を目指す、というのはいわば神に近づく行為。
それは言い換えれば人間味に欠けるともいえる。
そのこと自体はアンサンブルに任せればいい領域の事ではないか。
クラシックギタリストは「ソロ演奏」によって不完全な“人間そのもの”を味わうチャンス
をじつは手に入れているのではなかろうか。
最近そんな気がする。
(おわり)
ソロとアンサンブル(その2)
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