唐人町ギター教室では、楽譜が読めない初心者の方からプロを目指している上級者まで、現役プロミュージシャンが丁寧に指導致します

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我がレッスンの軌跡

 

やってきた方ではない。

今回は、過去受けてきた方の話である。

 

ちなみに「師事する」と「レッスンを受ける」というのは

ニュアンスにおいて若干異なる点がある。

 

《師事》

ある人物を「師(先生)」として認めること

その師から継続的に教え・指導を受けること

単に習うよりも、敬意や弟子入りのニュアンスが強い表現である

 

師事(しじ)とは、目上の人や専門家を自分の師として仰ぎ、その人から直接教えを受けることを意味します。特に芸術・武道・学問などの分野でよく使われ、「有名な書家に師事する」のように用います。

(以上 AIによる回答)

 

要は受けた側の【気持ちの問題】と、実際に受けた【直接指導の時間】が「わたしはあのひとに師事した」と言う場合のいわゆるポイントになっている気がする。

だが私の場合「師事した」と表明するのはなんとなく憚られるが、「影響をとても強く受け、今も尊敬し続けている」といったひとは実際存在する。直接に会ったことのない過去のヒトもそこには当然含まれる(マイルスとかセゴヴィアとか・・・)。つまり当たり前のことだが、心の中でどう思うかはそれぞれの自由であって、上記の問題が出てくるのは、「世間様に表明する」段階においてだけだ、とも言えるのよね。

《師事》とは別に、《レッスンを受けた》あるいは《レッスンとまでは至らないがアドヴァイスを受けた》というふうに、「経験や知識を分けていただく」「教えていただく」ということにも様々な形が存在する。これもまた捉え様が複雑かつ多様で、【一瞬のアドヴァイス】のほうが【一時間にわたるレッスン】よりも重い、ということもあり得るのだ。

読売交響楽団ヴィオラ奏者である二宮隆行氏からは、楽器を手にしたレッスンを受けた訳ではないが、演奏会場からの帰り道に立ち寄ったパーキング・エリアで交わした15分足らずの会話が、今も自分の中で大切な判断基準のひとつとなっている。

 

レッスンという形式ひとつとっても、本当にこれまでたくさんの方々からアドヴァイスを戴いた。戴いたのだが、正直に言う。何を言われたのか、いま具体的に思い出せないものが実はほとんどである。

だがひとつだけハッキリと残っているものがある。それは【知識と体験】を伝えよう、教えよう、とする側の ” 熱量 ” そして ” 語り口 ” である。これだけは どの先生の場合も感触が残っている。

以下、直接レッスンを受けた先生(敬称略)。

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【クラシック・ギター】

故坂本一比古、故ホセ・ルイス・ゴンサレス、藤井眞吾、藤井敬吾、伊藤博志、マヌエル・モンロイ、デヴィッド・ラッセル、故アルベルト・ポンセ、パブロ・マルケス、レオ・ブローウェル、コスタス・コチョリス、ホアキン・クレルチ、レイ・ゲーラ、鈴木大介、アレックス・ガロベ、北口功、ラファエラ・スミッツ、鎌田慶昭、イヴ・ストルムス、福田進一、ペペ・ロメロ、トゥリビオ・サントス、エドゥアルド・フェルナンデス、ウィリアム・カネンガイザー、イェラン・セルシェル、尾尻雅弘、故オスカー・ギリア、ステファノ・グロンドーナ、レオナルド・ブラヴォ、

【ほか】

吉田峰明(作曲家)、三浦宣明(指揮者)、木下尊惇(フォルクローレ)、故斎藤賀雄(フルート)、清水信貴(フルート)、田口悌次(ジャズ・ギター)、高橋悠治(作曲家・ピアニスト)、太田耕平(リュート)、今村泰典(リュート)、山野修作(ジャズ・ギター)、佐々木真一(作曲家)、荒田和豊(ヴァイオリン)、故ナルシス・ボネ(作曲家)、大島秀文(リュート)、

 

師事とレッスンが混ぜこぜ状態での列挙である。師事という形はとっていなくとも福田進一氏のように数えきれない回数、レッスンでみていただいた先生もいらっしゃれば、幸運にもその後、共演者として幾度も御一緒していただき、その中でさらに深く学ばせていただいた鈴木大介氏、木下尊惇氏、荒田和豊氏、田口悌次氏のようなかたもいらっしゃる。

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そう・・・レッスンに限らず学ぶという意味では、共演者としてステージ上でこちらが勝手に学ばせていただくケースも普通にあり、実践の場を通じてレッスン以上に大切なことを吸収させていただくことも多々ある。

愛川智子(歌手)、山田裕(ブラジリアン・ギター)、鬼怒無月(ジャズ・ギター)、池田慎司(クラシック・ギター)、熱田公紀(ピアノ)、伊藤史厳(ロック・ミュージシャン)、渡辺隆雄(トランぺット)、岩崎慎一(クラシック・ギター)、佐藤金之助(ピアノ)、故小澤敏也(パーカッション)、山村誠一(パーカッション)、栗原道子(歌手)、菱本幸二(フォルクローレ)、  ~以上敬称略

以上の方々には、《ステージ上で共に音を出す》という形のなかで、様々なことを教わった。

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ちょっと強調しておきたいのは、上記のレッスンで学ばせていただいたのは、九割以上が「自分がプロとして活動を始めて以後」のことである。学生時代&留学時代に勉強した貯金で現在活動しているわけではない。それは最初に師事した坂本一比古先生が、10代の私に常日頃おっしゃっていた「音楽家は一生勉強するのをやめたらいかんよ」という言葉を肝に銘じているからである。あとヴァイオリニストの荒田和豊氏がおっしゃっていた「30代をどう勉強するかで40代以降が全然変わるよ」という言葉に関しても当時信じてよかった、と今にして思う。

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来たる7月12日(日) 【マスタークラスへのいざない】というタイトルのイヴェントを企画する。マスタークラスとは、いわゆる公開レッスンであるが、日常の個人レッスンとは若干おもむきが違う。今後うちの教室では、外部からゲスト講師を招いてのマスタークラスを企画してゆきたいと思っているが、通常のマスタークラスというものは、じつは教室全体のムードがある程度成熟していないと、時間的にも、受講料金的にもけっこうヘヴィーなのである。だがその雰囲気でしか学べないものが、そこには確実にある気がするのだ。

だから聴講するにしろ受講するにしろ、まずはライトな形で体験していただきたい、ということでひと枠40分レッスンの5名様5枠、講師はかわり映えしないで申し訳ないが、松下隆二先生。ということでどうだ!?(スンマセン)

マスタークラスは実は聴講の側のほうが冷静に見ることができ勉強になる。人を観察して、いろいろ盗む練習にもなる。受講をする側の人は、発表会などとはまた違った演奏のステージとしても刺激になるだろう。今回は受講も聴講も一律3,000円(参考までに通常のマスタークラスであれば受講の相場は10,000円くらい、レッスン時間は60分くらい、と思っておいたらよい)。

そして今回は、どんな段階の方でも受け入れるつもりである。唯一の条件としては、『受講曲はそのひとが全体を通してひける一曲』であること。カルリのエチュードでもヒナステラのソナタでもなんでもよい。あと先生はいま指動かないから模範演奏のようなものは期待してはいけない。遠方のかたでもお気軽にお問い合わせ&お申込み頂きたい。定員になったあかつきにはブログ記事でお知らせします。

よろしくご検討くださいねー。

 

ハバナでのレオ・ブローウェル・マスタークラスにて(25~26歳くらいの筆者)

 

 

2026.4.6.

 

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“我がレッスンの軌跡” への2件のフィードバック

  1. S・hongou より:

    マスタークラス。ギター歴の長い方のためかしら、難しい曲でないとダメかしら、など受けさせていただく側に色んな悩みが発生いたしますが、今回のように設定いただくと、やってみたい。受けたい。になりますね。わくわくしております。(先生は大変かと)

    • 松下隆二 より:

      S・hongouさま
       
      ありがとうございます。本郷さんはすでにいくつかのマスタークラスをご経験ですね。
      うちの生徒さんは今回は講師がわたしですので、基本聴講していただき、次回ゲスト講師の時に受けていただくほうがよいかな、、、
      と漠然と考えております。
      現時点ですでに3名様の受講が決まっており、みなさまに楽しんでいただけるようボチボチと準備します。

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