2025年最後のブログである。
今年のアタマ、クラシック・ギタリストとして御活躍の壇はるかさんから ある相談を受けた。内容としては、柳川市民文化会館のプログラム・ディレクター根本氏から「キース・ジャレットをテーマにしたコンサート」を依頼されたのだが、編曲および演奏面で関わってほしいというもの。演奏には壇さんのパートナーでもある俊英ギタリスト松本富有樹氏も参加してくれるそうだし、それはそれでとっても心強いのだが、話を聞いた直後の僕は、とりあえず途方に暮れてみた。
このお題が如何にやりがいがあり、それと同時に如何に困難を伴うものか・・・わかりますかあなた・・・わからないでしょうね・・・しゃばだばだー・・・
キース・ジャレット(1945~)はアメリカのジャズ・ピアニスト。ビリー・ジョエルの歌で有名なアレンタウンの出身。幼少の頃から神童ピアニストとして知られ、高校時代からジャズに傾倒。アート・ブレイキー、チャールス・ロイドのバンドを経て、マイルス・デイヴィスのバンドにオルガン奏者として加入。膨大な数のリーダー作をリリースする中で、その活動において特筆すべきは「完全即興によるピアノ・ソロ・アルバム」を多数発表したことで、その中でも75年発表の『ザ・ケルン・コンサート』は、卓越したダイナミクスとリズム、美しい旋律でジャズのファン層を大きく広げることに一役買った(ちなみにバルエコが完コピしている”Part II c” はケルンの6年前すでに演奏している形跡があり、さすがにそのテーマは即興ではないことがわかる)。
一方でクラシック作品もとりあげ、バッハ、ヘンデル、ショスタコーヴィチ、ペルト、バーバー等多数録音している。ピアノ以外の楽器演奏にも長けており、ソプラノ・サックス、パーカッション、ハープシコード、リコーダーなどを駆使して、民族音楽、フリー・ジャズ、中東音楽などを題材にした録音も行っている。
と、思いつくまま書いてみたが、活動の幅がここまで広いミュージシャンは世界的に見ても稀である。まあ、題材として取り扱う場合マイルスなんかと比べて切り口がたくさんある、と言えなくもないが・・・逆に言うと切り口が多過ぎて収拾がつかんのよ。
ギタリスト仲間に「もしこんな企画振られたらどうよ?」と聞くと、反応も様々。ジャズ・ギタリストなんかは「キースですか。いいっすねー。」と言いながら「俺だったらどういうコンセプトでどういう選曲するかな」などと頭を巡らせてるに違いないが、そこには必ず「アドリブをやる」というのが前提として当然ある。
ジャズ・ピアニストであれば、現在活動している人は直接的であれ間接的であれ、キース・ジャレットの影響は必ずといっていいほど受けている。
今回は、基本が”ジャズ”の”ピアニスト”であるキースをテーマに、”クラシック”の”ギタリスト”たちが右往左往するという、つまり二重にアウェイな企画なのよ。
鈴木大介くんなんかは、ほんとに昔からのキース・ファンで、来日公演なんかはほぼ全部足を運んでいるくらいだ。彼だったらどうやるかな・・・などと考えたりする。彼はアドリブもできるので、やっぱりそれを取り入れる前提で構築していくのかな。う~ん、つまりクラシックギタリストとしては参考にならんのよ(笑)。
前述したディレクターの根本氏からは「ケルンをぜひ」ということだったが、それはやんわりおことわりさせていただいた。それは私には出来ない。
ちなみに7月東京に行った折、電車待ちのホームでこの企画の件を富川勝智氏に投げてみた。すると彼は半分ニヤけながらこう言った。「それは”ケルン完全再現”ということでキースの唸り声とかも全部やったらいいんじゃない?」
そう、だれかの即興を他者が完コピするというのは、つまりはそういうことなのだ。キースはたとえば即興の時、左手でリズム・パターンを刻みながら、右手は弾かない、という時間がある。「無駄な音を弾く」くらいなら彼は「弾かない」という選択肢をとるのだ。左手だけを弾きながら、右手に(神が)降りてくるのを待つ時間・・・。即興だから、降りてこない時も当然ある。降りてくるかどうかわからないでキースと共に【待つ時間】。「先がわからない」というリアリティをコピーすることは出来ない。
いや、クラシック・ミュージシャンであればそれを体感して【演じる】ことは出来る。だが即興は、作品ではなくドキュメントなのだ。
結論として今回目指すのは、キース・ジャレットの音楽や演奏の再現ではなく、3人のクラシック・ギタリストがキース・ジャレットの音楽や演奏を通じて「なにをかんじるか」「なににきづくか」をやる、ということしかない気がする。時にキースのやったことをバラバラに解体し、別なものとして作品的に構築するということも含め、ジャズ・ミュージシャンはやらない、かつクラシック・ギタリストにしか出来ないことを目指して・・・。
2025.12.24.