唐人町ギター教室では、楽譜が読めない初心者の方からプロを目指している上級者まで、現役プロミュージシャンが丁寧に指導致します

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でこぼこ(その1)

 
「クラシックギターの魅力」のひとつは、世界中のさまざまな音楽に対し窓が開かれている
ところであり、それらの音楽に対しアダプト出来るところである。
楽器の名称に「クラシック」と付いてはいるが、とりあげるレパートリーはクラシックのみに
限定されないのは皆様ご存知のことと思う。
 
 
歴史上スペインと関係のあったラテンアメリカ諸国の音楽にもクラシックギターは当然深く
関わっている。キューバ音楽、フォルクローレ、タンゴ、そしてポルトガルが入植した国
『ブラジル』のショーロ、サンバ、ボサノヴァ、、、。
 
 
これらの音楽のミュージシャンは、通常「譜面を介さない」あるいは「譜面がそこまで重要で
ない」環境で演奏し、音楽を楽しんでいる。
つまりクラシックギタリストを含む「クラシック・ミュージシャン」と彼らとの一番の違いは
【<譜面を介して演奏すること>を訓練してきた人たちなのか否か】という風に考えることが
出来る。
そして数あるクラシック音楽のための楽器の中で、もっともこの境界のはざまに立たされている
のが、我々が日々演奏している「ギター」という楽器である、とわたしは個人的に思う。
 
 
楽器としての《クラシックギター》と、ミュージシャンとしての《クラシックギタリスト》が
歩んできた道のり(歴史)は必ずしも常に共にあるものではなく、それぞれが独立した遍歴を
持っている。たとえば楽器としてのクラシックギターが「庶民の楽器」として民族音楽の中に
さほど抵抗なく溶け込んでいったのに対し、一方ミュージシャンとしての《クラシックギタリ
スト》はクラシック音楽界からは「クラシックの楽器としては音量が小さく、オーケストラにも
所属していない楽器の演奏家」ということで継子扱いされ、民族音楽やポピュラー音楽のミュー
ジシャンからは「発音はきれいでテクニックもあるけど、譜面が無いと演奏できないしグルーヴ
感もなければアドリブも出来ない」というふうに見られてきた悲しい歴史がある。
これらについては努力によって今後「あちらの意識」が変革、「こちらの意識と技量」が向上し
続けることを願うばかりである。
 
 
ここ20年ぐらい特にそうだが、クラシックギター界全体に於いて「スッキリと洗練された
テクニック」で演奏する人が増えている。
もちろんそれもあっていいとは思うが「カッコ良く弾こう」としている人があまりに多いのは
個人的に残念なことではある。音楽を活き活きさせる為、たとえカッコ悪くとも「でこぼこ」に
弾くことを怖れない人がもうちょっと居てもいいのではなかろうか。
まあ、まわりに対しそんなこと言ってても仕方がないのでやはり自分が率先してやるしか
ない、、、、というわけで、私が最近気に懸けたりハマッたりしているものは「ごつごつして
でこぼこした感触のあるもの」である。
 
 
いつだったかはっきり記憶にないが、おそらく半年から一年ほど前だったと思う。
ラジオから突然流れてきた深沢七郎さんのギター演奏にすっかり心奪われてしまったことが
ある。
『楢山節考』で衝撃の文壇デビューを果たし、放浪生活のあと農場を営んだり、今川焼きの店を
開いたりとまさに多彩な人生を歩んだ深沢氏が、楽器としての「クラシックギター」を若い頃
からこよなく愛し、演奏家としても活動されてあったことは知識としてかろうじてわたしの頭の
片隅にあった。ラジオを通じて聞いた音にもかかわらずその圧倒的な《でこぼこ感》は私の心を
わしづかみにした。
 
「すごい、、、。」
 
(つづく)

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“でこぼこ(その1)” への2件のフィードバック

  1. go-you より:

    先生のブログにコメントを・・と思いながら内容についていけずこまめめいていました。たまたま、数年前「深沢七郎伝」(新海均著潮出版社)を読んでいたので、共通の話で嬉しくなり、コメントしました。
    彼は、まさにレジェンドでその生涯のすさまじさに感じ入りました。
    本の冒頭に、「かなしみの礼拝堂」を弾いてくれたとあり、触発され、発表会の曲目にしました。もちろん「ごつごつ」でなく、「よたよた」と・・・・!

    • ryuji より:

      go-youさま
      お久しぶりのコメント、ありがとうございます。
      深沢さんの演奏を聴いていると「上手に弾こう」という意識よりも「楽器に触れるたのしさ、よろこび」といった感触のほうがより多く伝わってきて、とてもホッとするのです。書き残されたものやその生き方を見てても、「洗練された世界」とは直感的に距離をとっていたひとのように思えます。
      おそらくプロとして一旦「洗練された世界」に足を突っ込んでしまうと、抜け出すのは至難なことで、、、。料理でも何でもそうだとは思いますが、、、。
      あの発表会のときのgo-youさんの「悲しみの礼拝堂」よく覚えております。すばらしかったですね、お世辞ではなく♪

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