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「たばこ」の思い出(その4)

 
“禁煙セラピー”という本のタイトル名は、私の頭のなかにしっかりと刻印されたものの、当時の
私はまだその本を手にする気も、たばこをやめる気もなかった。
だが何かが気になっていて、頭の片隅にそっとしまっている時点でそちらの方向に進む準備と
いうのは、人間すでに出来ているものかもしれない。
あとはきっかけを待つのみ、、、という状態である。
 
 
“きっかけ”は十年前、ひょんなことでやってきた。
関東在住のフォルクローレ・ミュージシャン木下尊惇さんと岡山県倉敷市でコンサート共演を
する事が決まった時の事である。
「コンサートの前日に倉敷で落ち合いましょう」ということだけ一週間前に決めて、その後
お互いに連絡を取る事がなかった。
私は福岡から倉敷までを安い深夜バスを使っていくことに決め、コンサート前々日の夜福岡を
出発し、コンサート前日の早朝、無事倉敷駅前に到着した。
しかし明け方5時である、、、。
当然喫茶店も何も閉まっている。わたしは自分のあまりの計画性の無さに半ば呆然としながらも
7時までなんとか時間を潰し、開店と同時に駅の中のマクドナルドに転がり込んだ。
おかわりコーヒーを7杯ぐらいしながら私は考えた。7時台に木下氏に電話というのはあまりに
失礼だし申し訳ない、、、。そうだな、、、9時なら問題ないかな、、、あと二時間、なんとか
もたせて9時になったら木下氏に電話をしてみよう、、、。
 
 
私は朝のマックで、コーヒーをちびりちびり舐めるように飲み、たばこをガンガン吸いながら
本を読み、楽譜を読み、音楽を聴き二時間経ったところで、公衆電話(ちなみにわたくし今も
昔もケータイを持った事がない)から木下氏に電話した。
私の電話に木下氏はぶったまげた。
「ええ~~~~~っ!?こっちはまだ東京ですよ!!」
いろいろ準備をして倉敷御到着はどんなに早くても夕方5時は過ぎるとのこと、、、。
 
 
私はなぜか子供の頃から人を待つのは慣れている、、、。
何時間待っても結構平気である、、、。
考え事が好きなのかもしれない、、、。
だがいくらなんでも十時間を超える“待ち時間”は最高記録を通り越して、もはやアホである。
(その前に「羽田空港で八時間」という記録があったが、、、)
 
 
わたしは倉敷駅構内をくまなく歩いた。
そしてようやく書店を見つけた私はほっとした。やれやれ、、、ここで二時間は潰せそうだ。
早速私は立ち読みの鬼と化した。
何冊目かの本を読み終え、ふっと目を移すと当時すごい売れ行きだった「禁煙セラピー」の本が
積み重ねてあるのが目にはいった。
私は手にとって期待せずに読み始めた、、、。
 
 
 
書店を出た私は、朝から入り浸っていたマックに再度入店し、たばこを吸い始めた。
手持ちのたばこを全部吸ってから、たばこにさよならするつもりであった。
自分にとって異様な状況下である事も利用しつつ、こんどこそやめられることを確信しながら
私は最後の一本を吸い終わった。
現にあの日以来、一本も吸っていない。
子供の頃と同様、たばこが必要のないカラダに戻ったのだ。
本来の自分のカラダに、、、。
“やめた”苦しみよりも“やめられた”喜びのほうが、私にとってはるかに大きかったのは言うまで
もない。
 
(おわり)
 
 

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“「たばこ」の思い出(その4)” への2件のフィードバック

  1. S.Hongou より:

    「禁煙セラピー」という書籍に、何が書いてあったのか。
    ものすごく、気になります。
    実を言いますと、煙草に手を出したことがあります。
    初めての居酒屋、初めての飲み会、そうして、同い年の子達がバックから取り出し、
    「吸う?」
    と差し出してくる、一本の煙草。
    それを口にしないと、この「仲間」(と勝手に思っているもの)からはじき出される、という思いで手にして、唇に運ぶわけでした。
    「通過儀礼」のごとく、ときに利用される煙草。
    いろんな利権が絡み、社会から抹殺できない煙草。
    500円あったらばどんなに空腹でも煙草を買う、という方は、今もいるんでしょうね。
    どちらにしても、吸わないにこしたことはございません、(ただ残念なことに、肺にタールは溜まっておりますけれども……)
    「紫煙」という言葉が死語になり、物憂げに煙草を吸っていた古い映画の女優達の、美しい横顔を思い出しつつ。
    (小道具としての煙草は、きっと生きていくと思います)
    「卒煙」おめでとうございます。

    • ryuji より:

      禁煙のきっかけ話があまりにアホなため、「第4話」を書くのは若干のためらいがありました(笑)。
      「カラダに悪いこと」はしないに越した事はないと思いますけど、それから抜け出る経験や葛藤も、ひょっとしたら「全く経験しない事」以上に人間大切な事かもしれません。

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