最近老眼がすすんでいる、、、。
子供の頃遊園地のゴーカートで発進直後、柱に激突した経験を持つ私は以来ハンドルを握らない
よう心がけている。そのため車の免許を持っていないのであるが、それにはメリットもある。
(デメリットは“容易に身分を証明できない”事。ビデオ屋の会員になるのもひと苦労である。)
つまり仕事の移動時間は私にとって貴重な“読書タイム”なのですよ。
ところが最近バスや地下鉄に乗ってカバンから本を取り出し、いざページをめくると文字が
ぼやけるのである。そんでもって眼鏡を外してもう一度本のページに目を落とすと、なんと
今度ははっきりと見えるのである。
こ、これはもしや周りの諸先輩方がワーワーおっしゃっていたのを今まで他人事としてボンヤリ
と聞いていたところの、いわゆる「老眼」という現象では?
ワタシも晴れて高齢者への第一歩を踏み出したのだろうか?
気持ちとしては、ほんの少しの“焦り”と同時に、自分がちょっとだけオトナに近づいたような
(今でも充分におっさんだろうが、、、)そんな感じである。
肉体は衰えてゆく。だがその事イコール「老い」だろうか、、、。
~私には老いの印、老いの確かな徴候とは、物ごとに対してそれほど執着しなくなることでは
ないかと思えるのです。~(ナディア・ブーランジェ)
私事ではあるが、八十歳になる父は退職後“他者に対する興味”や“世の中に対する好奇心”を
急速に失い、テレビは一切見ず(私も見ないが、、、)本も読まず(現役時代はおそらく
常人の十倍は読んでいた、、、)人と会うこともなく、ペットも飼わず、毎日毎日「起きる」
「食べる」「寝る」を繰り返すだけであった。それが今年の二月に肺炎で倒れ、病院に担ぎ込ま
れてからは「食べる」すらしなくなってきた。もはやどうでもいいらしい。
父と同年の生徒さんを見ていると、やはり“執着”“好奇心”の歴然とした差を感じさせられる。
“年をとっているが若々しい”ひともいれば“若いのに年をとったような”ひともいる。
年をとって「経験を積む」ことを無条件で良しとする傾向があるが、こと音楽に関しては
どうだろう、、、。
~“柔軟性”そこに日々の経験が積み重なって、私たちに習慣をつくりあげてしまう。
だからエリック・サティも言っているように、「経験は麻痺のひとつの形」なんだ。
麻痺ー動けない状態、柔軟さの正反対。~(ジョン・ケージ)
「自分にとってのいい“年のとり方”」を模索してゆく年ごろになりつつあるのを感じる。
2014.4.7.
「年をとる」とはどういうことだ?
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好奇心を持ち続けた、老年になれればいいな、と思う今日この頃。
20代、色んな事情で己の命数を推し量っていましたが、今は、もう、いいです。
なにもなさらない、というのも、たくさん積み重ねてきたものを、ゆっくりと沈殿させていらっしゃるのかもしれませんね。
まだまだ、生臭い自分です。
先生も、なお一層のご活躍を激しく期待しております。
「積み重ねてきたものを、ゆっくりと沈殿、、、」
なるほど、そういうものかもしれませんね。
妙に納得してしまいました。