フォーカル・ジストニアの症状と向き合って五年の月日が流れている
当初は
「以前の状況にもどりたい」
あるいは
「全く別な感触でも構わないから とにかく自らの意志で指を動かしたい」
という思いが強かった
”あきらめ”とはニュアンスが違うのだが
いまはそうでもない
むしろ目的や目標、そして方向性というものから離れて
力を抜いていく状況に身を置きたい という気分だ
因果律、因果推論といったものとも距離を置きたい
思考というものはそもそも
自分のこれまでの経験で出来上がっている言語体系との符合が前提であり
身体そのものが宿している”知”には
到底およばない
賢しらな思考 あるいは
脳の支配体系 すなわち ”わたし”と 距離を置き
深く呼吸をしながら
あるいは遠くをぼんやり見ながら
目的をもたず
方向を求めず
そのとき現われた ”いま” と向き合う
<五十五歳がはじまった日に>
2026.2.16.