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クラシック演奏と自由(その1)

 
「クラシック演奏は譜面にあらかじめ書かれてある音を弾くので 、そこにはジャズやポピュ
ラーあるいは民族音楽にあるような自由は無い」と考えている一般人もしくは他ジャンルの
ミュージシャンは意外と多い。たしかに現在のクラシック演奏の中には、ジャズやその他の音楽
の中で頻繁に聞かれる【即興演奏】すなわちアドリブは見られない。
(現代音楽や古楽の世界ではみられるが、、、)
 
 
この場合言われる『自由』とは何をさすのだろうか。弾く音が譜面に書かれていないミュー
ジシャン達から見ると確かにクラシックミュージシャンの能力は良くも悪くマシーンのように
思えるだろう。作曲者に言われた通りのことをただ黙々とこなしているようなイメージだ。
「アドリブがない」イコール「自由がない」と一般的に考えられがちなのも無理はない。
だがクラシック演奏にも『自由』はある。ただ自由の質が違うのだ。
 
 
譜面に書かれてある情報をすべて読み取って音に直す作業だけが決して『クラシック演奏』
ではないし実際そんな単純なものではないのである。
むしろ譜面に書かれていないことを読み取れるか、感じ取れるかどうか、、、という能力が
クラシック演奏には不可欠なのである。
 
 
『譜面に書かれていないこと』についてすこしだけ具体的に話そう。
 
クラシックの譜面は出来上がった状態で与えられるいわば【所与】のものであるが、そこに
書かれてあるメロディーやハーモニーの進行は時にオーソドックスであり時にオーソドックスで
ないものが混在している。曲中で『オーソドックスでないもの』にぶち当たったとき、
「普通の進行だったらココはこうでしょ」という『オーソドックスな認識』がないとそこを
見過ごしてしまうことになる。
だが大概の場合『オーソドックスでないところ』まさにその箇所が、作曲者の創作の中で
クリエイティヴな部分であり、曲中のいわば『事件』と呼べる箇所なのである。
「赤信号は止まれ、青信号は進め、を意味する」ことを知らない人には『信号無視』すらわから
ないということだ。ところがそれは大抵の場合、譜面に書かれていないし譜面を読むひとが自力
で読み取らなければいけないことである。
 
 
3拍子の曲のタイトルが『メヌエット』『サラバンド』『ワルツ』となっている場合、それぞれ
の踊りがどういったもので、音楽にどういう特徴(ちがい)があるのか、、、『ソナタ』
『ロンド』となっている場合、曲の構造がどうなっているか、、、そんな説明は譜面には一切
書いていない。
どの国のひとがいつの時代に書いたものか、、、それを知ることによって同じ音符でも演奏の
仕方が全然変わるのである。だがそれは譜面には書かれていない。
そこを見過ごして演奏するということは、カニの身ばっかり食べて『みそ』の存在を知らない
に等しい(何だ、その比喩は、、、しかも「すこしだけ話す」と言ったのにけっこうな分量に
なってしまった)。
 
 
まあそういったことを踏まえて『自由』にやるのだが、ここで鍵を握っているのが
【練習のとりくみ方】である。
それについては次回、、、。
 
(つづく)
 

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“クラシック演奏と自由(その1)” への2件のフィードバック

  1. Takao Yoshimoto より:

    カニ味噌の比喩最高!!   歌でも同じ音階であっても形成するハーモニーが異なることを感じる、あるいは同じ三拍子でも音楽が異なる、これを感ぜずして音楽にはならないのですよね。 
    少し意味合いは異なりますが歌の場合で言えば、いつもテクニカルとエモーションを考えていますが、これまた合唱となると多くの人との共同作業ですからエモーションといっても千差万別、自ずと最低限、テクニカルな面をきちんと守るしかないのか!  あとは自分の感じたことをエモーショナルに歌うしかないのか! 指揮者の役割は大いことになりますね。 やはりソロの自由さはなんとも言えない悦楽の境地なんでしょうね(笑)

    • ryuji より:

      Takao Yoshimoto さま
      コメントありがとうございます。
      次回(その2)で書こうとしてることを、いまここで全部しゃべってしまいたい~!(笑)と、ひとりで身もだえする私、、、。
      あと「カニ味噌」でいいっすか?

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